私が医者になりたい理由



Tuesday, May 27, 1997 2:43:47 PM
差出人: Shigemitsu Komura
タイトル: 07031医学を志した理由

 私が医学を志した理由はいろいろあるが、もっとも大きな理由の一つは不治の病とみなされている様々な精神病の治癒法に取り組むのは一生をかけてやりがいのあることであると思ったからである。
 人は顔が各人異なっているように精神的病も各人各様である。たとえ同じ病名であったとしても、その程度、各人の苦しみの度合などは様々なものがあろう。私は特に先天的に精神的不具をもって生まれた子供に強い関心がある。彼等の一生はまだこれから先長いのに健常者の喜びを一度も味わえないまま、一生を過ごすことになるかと思うと残念でならない。また最近話題になっているのに、現在の複雑な社会がもたらした、現代人のかかりやすい精神病にも関心がある。例えば、働き盛りの世代の人達、特に男性が家に帰りたくないという帰宅拒否症や、職場や過程から受けるストレス、人間関係から生じる悩み、青年期にみられる理由なき自殺、これらはつい最近まではみられなかった現代に特有の精神的病から生ずるものである。昨今ではこれらの諸病に対する治療策も発見されて応対されてはいるが、各人を取り巻く環境は人によって異なるので、一つの尺度で判を押したように対応するわけにはいかないのではないだろうか。国土の面積の割には人口の多い日本では日本特有の精神病が多い。また、これから将来にかけてもまだ新たな病気が発生することも十分に予測されるので、心の病に対する取り組みには本腰をいれる必要があるだろう。私が医師となったときには、様々な階層の人々に接することによって、それに対応して新たな治療法、治療薬の開発に力をそそぎたいと思う。精神病というものは他の肉体的病と密接に関係していることも多いので、私は大学での教育を受けるにあたり、出来るだけ広い分野を、より深く医学を学んでいきたいと思う。そしてその際、受け身の教育にとどまらず、主体的な学習を心がけたいと思う。そうして立派な精神科医になりたいと思うのである。



Friday, May 23, 1997 0:53:52 PM
差出人: Atsuko Fukada
タイトル: 私が医者になりたい理由

 生と死。私はその言葉ばかりにつまずいてきた。生きることが、私はとてもつらかった。どうして私は生きるのか。生きなきゃいけないのか。死にたいと何度も何度も考えてきた。その度にその言葉が生きたいんだと体を震わせた。そして、生きてきた。今も、私はどう生きよう、生きたい、ずっとずっと考えている。
 今の日本の社会では、生きることは必然であると思う。日常から、死は完全に隠蔽されてしまっている。見える死は、乾ききった言葉ばかり。他人の死を実感する機会は滅多にない。こんなにも多くの生が存在し、多くの生が生まれるならば、必ず多くの生が消えていっているはず、なのにだ。死というものが、何であるのか。私はそれを知らないし、多くの人がそうであろう。それは、生を知らない、に通じはしないか。確かに私達は今、生きている。けれどその「生きている」ことを、私はほとんど実感することがない。
 日本で生きることは必然であると書いた。日本は、食物に溢れている。衣食住に困る人はほとんどいないし、病気やケガをすれば、すぐ病院に行ける。生のベクトル(実際は死に向かっているのであるが。)ばかりが強調され、死へのベクトルはほとんど感じられない。自力で何もできなくとも、高度な医療技術が生命を保ちつづけてしまう。生だけを目指して。生が必然すぎて、死が見えない。
 アジアを旅行した。その時、私は心の底から「生きている」ことを感じた。街を歩き、人と出会い、空を見上げ、雨に打たれ、私は生きている、と感じた。そして、人が生きているんだと感じた。人が生きたくて、生きていると心の底から感じた。貧しい国だった。危険だっていっぱいだった。けれど、生きていると感じた。涙がでるくらい生きていると感じた。
 私は通りすがりの旅行者でしかなかった。だから、その国のことも、他の国のことも、そして、日本のことも、考えるべきことは多くあると思う。しかし、私があの時、実感として感じられたこと、それはすごく正しい気がするのだ。貧しい。だから、生は死と隣り合せである。生きよう、そう努めて生きねば、生きられぬ。けれど、生きたい。生きたい。よりよく生きたい。死が裏側としてあるからこそ、生きようとする必要性があるからこそ、そこには生がある。
 医療がなぜ、古代から現在まで発展しつづけてきたか。それは人が生きようとするからだ。生きたいと感じ、よりよく生きたいと願うからだ。私はそう思っている。
 医師になりたいと私が願うのは、医師が医療行為を行える唯一の存在だからだ。私は人が好きだ。生きるのが好きだし、生きたい。だから、生命に関わりたい。そして、人が生きていることを感じていたい。人の「生きたい」という気持ちに、私が少しでも力になれればと思う。
 これから、乗り越えるべき山は限りなく続いているだろう。時に自分を見失い、自分がどう生きたいのか、生きたかったのかさえ思い出せなくなるだろう。けれど、私はここで生きてゆきたい。人に、生命に関わってゆきたい。そう願える限り、この今の気持ちを、心のどこかに持ち続けられる、生きていける、そう信じている。
 私は医者になりたい。
                        終

   P.S. 知的な文章ではなかったと思います。けれど、この話題だけは、自分の心のままを書きたかった。自分の根源に関わると考えている部分だからです。だから、あえて知的な文章を避けました。感想をお待ちしております。




Friday, May 30, 1997 7:35:06 PM
差出人: Michi Kasai
タイトル: 私が医者になりたいわけ

 私は小さな頃から動物が好きだった。猫アレルギーで呼吸困難に陥ろうが犬に噛まれて頬を縫うケガを負おうが私の動物への愛情は変わらなかった。3歳から高校1年生まで「獣医になる」と信じていたのは極自然な成り行きだったんだと思う。(人間以外の)動物への関心が人間へと移ったのは高一の時で、自分では明確な理由は見つけられない。“たまたま”である。
 高一のいつ頃からか私は建築家になりたいと思うようになっていた。建築家といっても一般住宅の設計をする建築家ではなく、井戸堀りや下水処理設備設計の技術をもった建築家である。「アフリカに行って、現地の風習を尊重しつつそこの人達の生活を改善したい」と思ったのだ。何故アフリカなのかはわからない。たまたまアフリカに関心をもったから、としか言いようがない。
 たまたまなりに、アフリカへの私の想いは強まっていった。アフリカの人達が一番必要としているのはなんなんだろう、そもそも私は彼等にとって必要なんだろうか。
 自分が必要とされているのかどうか、答えはでないとわかっていてもこのことが一番気にかかって悩んだ。人に必要とされていたいという気持ちはだれもが持っているものだろうが、特にあの頃の私はその気持ちが強かったんだと思う。今もその気持ちは強いほうかもしれないが、もうそのことで悩むことはなくなった。必要とされているから行くのではなく、行きたいから行くのだ。それで必要と思われるようになれたら幸せだ。そう、思っている。
 一番必要としているのは何か、これはすぐに答えが出た。生きているからこそ、何かが必要になってくるのだ。それならば私は生きる手伝いをしよう。
 これが私が医者になりたい理由である。
 アフリカで役にたつ医者になるには、外科や内科や何でもこなせないと駄目だろうから私は一とうりこなせる医者になる。かつ、産婦人科のスペシャリストにもなりたい。なぜなら、生きることが始まる瞬間にたち会えるから。




Thursday, May 29, 1997 4:26:05 PM
差出人: Yuko Koizumi
タイトル: 私が医師を志す理由

 私は小さいころから人と話すのが好きで学校教諭か医療関係の仕事に就きたいと考えて
いました。そのまま高校3年生の夏まで作業療法士になろうと思っていました。しかしそ
の夏に中学校の同級生がぜんそくで3つ病院を回されている間の救急車内で窒息死されて
しまってそのとき自分の生き方、自分は生きているっていえるのかなと初めて振り返った
わけです。中学校から成績がいいから進学校にはいってなにといって暮らすわけでもなく
のほほんと勉強して、自分の学力で入れるくらいの中途半端な将来を目指していること
を。私と同じとしだけどその子は自分の第1希望の就職先を決めてすごくうれしそうだっ
た姿を思いだし、その子のおきにいりだったエアマックスを玄関で見たときに、私でも相
当の頑張りが必要だろうけど1人前のお医者様になって、その子のとおりすぎた病院にいればその友達も助かったかもしれないと、熱く心に火がついたわけです。
 とにかくその友達が亡くなったことは、確かにそのこと自体もとっても衝撃的で悲しいことだったけれど、同じくらい私の人生において違う意味でしょうげき的でした。死というものの後のなさのようなものを本当に体感したようにおもいます。
 それからの私は少しずつではあるけれどいきてゆくことをとても有難く感じるようになりました。悲しいこと、努力すること全部含めて生きていくことを頑張るようにしています。私はとても毎日楽しくて生きることを満喫しているようにおもいます。だから患者さんにもこの気持ちを分けてあげたいと思う。体がつらいといきいきできないけど私にできることならなんでもして、せめて生きていこうという気持ちを失いにならないように応援したい。そのためにやっぱり私の医術もみがかなきゃともおもう。みんなの幸せを手伝いたいと思います。




Thursday, May 29, 1997 11:42:23 AM
差出人: Sayaka Kawano
タイトル: 私が医師を志した理由

 私は幼い頃から医師への漠然とした憧れを持っていた。”医師の所へ行けば、病気が治る。医師はすごいなあ。”という子供らしい考えではあるが......。それから大きくなるにつれて、将来何か人の役に立つような職業に就きたいと思うようになり、多種多様な職業がある中、私は医師として社会に貢献をするんだと決意した。
 私がこのように思うようになったきっかけには大きく2つある。
 第一に、ある女医に出会ったことである。その女医は皮膚科が専門であった。小学5年の時、私は手の皮膚に炎症を起こし、友人の紹介でその女医の所へ行った。今から考えればその手の炎症はたいした事はなかったが、病気の時は神経が過敏になっており、大変心配な思いで足を運んだ。そんな私に、その女医は優しいまなざしで、”大丈夫よ。この魔法の薬を使えばすぐに治るからね。”と言ってくれた。今まで胸につっかえていた不安な気持ちはいっきに消え去り、私は晴れがましい気持ちになった。私はその女医を一人の女性として憧れ、私も将来こういう人になりたいと強く思ったのだった。
 第二に、祖父の死である。中学校三年の時に、祖父は脳卒中で倒れ、それから病院のベットに寝たきりになってしまった。脳の左側の血管が切れたらしく、体の右側が不自由になってしまったが、意識は鮮明で、相手の話す事もしっかり理解していた。私が祖父の入院している病院にお見舞に行く度に思っていたことは、リリハビリテーションさえもっと出来ていれば、祖父は少しは元気になれて生きる希望を持てたのにということであった。今や高齢化社会を超えて高齢社会に突入しようとしているがリハビリテーションといった福祉サービスが全ての人に提供できるような医療が整備されるべきだと思う。老人福祉医療において制度面の準備を早急に行うと同時に、心のケアの充実をしなければならないと祖父を見ていてそう思った。
 私が医師になろうと思った理由はちょっとした出来事を含め数え切れないほどあるが、今、真の意味で良医になろうと改めて決意した。良医の条件は、病気を治すための確かな技術、病気を患っている患者さんの心のケアを行うため人間性だと思う。今の私は未熟でどちらも備わっていないが、この二つを習得するため、日々努力をしていきたいと思う。そして、私も、他の誰かに医師になりたいと思わせるような医師になりたいと思う。




Wednesday, May 21, 1997 11:48:01 AM
差出人: Kei Kurihara
タイトル: 私が医師になる理由

 私は医学部に第一志望として入学したわけであるが、その理由として主たるものが3つある。まず、医学そのものに興味があったということ。人の体の仕組や疾病のメカニズム、人の心や感情のシステムに幼い頃から関心があった。たとえば、正座をしたら何故足がしびれるのか、とかどうして勝負事に勝つと気分が良いのか、というようなものである。せっかく高校まであまり楽しくない勉強をしてきたのだから、これからは私自身の興味ある分野、つまり医学をしっかり勉強しようと思ったのである。
 第2の理由は、何らかの技術を身につけたい、というものである。言い替えれば、「手に職をつける」ということだ。文部省の定めた決まり事に従い、世間の価値観に逆らわないのなら、小中高に大学と十数年間学校に通わなければならない。その期間に私は何か形として残るようなものを得たいと思った。そしてまた自分が将来就くであろう職業に誇りを持ちたいと思った。私は、サラリーマンにはなりたくなかった。自分の能力がそのまま仕事に反映し、自分の成すことに意義を見い出せることを自分の職業に対して求めていた。そういう意味で私は医学部を目指した。
 3つめの理由は人と接する仕事をしたかったということである。数字や機械と直接お付き合いするのには、あまり好感が持てなかった。自分としては彼等の無感情で乾いたところは好きになれない。私としては人と話をしたり、同じ時間を共に過ごすことが一番楽しいので、所謂、「クライアント」のために自分の能力を発揮したいと思っていた。人の笑顔を見ていたいと思ったし、人の感謝を直接感じていたいと思った。人と共にいる時間の多い仕事としての医師を志していた。
 以上3点が私の医師になる理由であるが、私としては最終的にこの結論に収束したというような観がある。というのも、この3点を自分の職業の条件として考慮した場合、教師と重なっていたからである。結局私は医師と教師ということで最後まで悩んだのだが、自分自身のQOLと、私と関わる総ての人々のQOLを考慮したうえで、私は医学部を志望した。この選択に私は後悔はしていない。




Wednesday, May 28, 1997 11:24:17 AM
差出人: Ryousuke Aoki
タイトル: 医者を志した理由

 最初私は何か人の役に立てる仕事をしたいと思った。それは医者以外の職業でもあったが、次第に医者になってからやりたい事を考える様になった。まだ医者にもなっていないのにそんな事を考えていたら、なんだかもう医者にならなければそれは出来なくなるだろうし、医者になるしかないと思うようになってきたのである。であるから医者を志した理由というのは、医者になってやりたい事をやりたいが為に、というのが私の場合正しい。ただ困った事は医者になってからの事ばかり考えていて、どんな医者になるのかをほとんど考えていなかったことである。患者とのコミュニケーション(インフォームドコンセント)が重要視されている昨今どんな医者になるかは確かに重要である。
 ところで、私が医者になってやりたい事の一つは海外医療である。考えている場所はアフリカかアジアかオセアニアで、出来れば医者の数が不足していてすぐ必要とされている場所が良いと思う。以前は飢餓で苦しんでいる人達を助ける手伝いをしたいという理由でそう考えていた。この事をある人に話したら「それは自己満足だよ。」と言われたが、それは確かにそうかもしれない。ただその考え方でいくとなんでもかんでも「自己満足」にしかならないし、逆に「自己満足」でも私は良いと思う。もちろんそれが押し付けや恩着せがましい態度であってはならない。しかし今は医療を海外でやってみたいという気持ちの方が強い。十分にやる価値のある仕事だと思うからである。またこれが実際人の役に立つかどうかはわからないが、自分のやってみたい事であるのに変わりはない。
 私が医者になってやりたい事のもう一つは、精神科の医者になることである。いわゆるセラピストとしてカウンセリングをしてみたい。特にいじめや登校拒否に関してのそういう仕事には興味がある。またFBIの心理分析官(プロファイラー)の様な仕事に就くのも面白そうである。これらはまだ興味の段階であるが、こういう興味があったからこそ医者になろうと思ったのである。




Thursday, May 29, 1997 2:23:16 PM
差出人: Hideto Oshita
タイトル: 医師志望理由

 私が医師になろうと最初に思ったのは、かなり幼い頃だった。小学2年生時の作文、『将来の夢』ではすでに「がんを治す医者になりたい」と書いているし、なぜかは知らないが、ロンドンで研究をするという妙に具体的なことまで母に話していたらしい。親が医者をしていた訳ではない。おそらくそれは当時、野口英世に熱中していたためだろう。母が買ってくれた伝記を幾度となく読み返し、火傷や貧困などの障害にめげず、一生を医学発展に捧げたその生き様に感動していた。
 しかし、それから今までずっと医師になろうと考えていた訳ではない。考古学者やスポーツ選手にあこがれた時期もあった。
 医学に対しての熱意が再び強くなったのは弟の死がきっかけだった。弟は私が中学一年の時、広島大学付属病院に入院し、その一年後に亡くなった。皮肉にも、幼い頃治そうと思っていた悪性リンパ腫、つまり小児がんであった。もちろんその出来事はつらく、また悔しいものだった。
 だが、私が本気で医師になろうと思ったのは、厳密に言うとその死自体が原因ではない。もしも弟ががんを克服し、退院していたら、と考えてもやはり私は医師を志望していただろう。一年間の闘病生活に付き添って医療の現場を体験し、その重要性も身に染みてわかった。最も強く感じたのは患者とその家族が味わう「もどかしさ」である。病気の治癒を最も強く願っているにもかかわらず、実際には医師と比べると無力な存在だ。患者の精神的な支えになるなど、家族にしかできないことももちろんあるだろう。しかし、やはり「もどかしさ」は消えない。病院では多くの人がそれを感じていたようだ。
 私が医師になろうと思ったのは、自分自身がもう二度と「もどかしい」思いをしたくないためであり、また、将来自分が医師として担当する患者とその家族に「もどかしさ」を感じさせないためでもある。具体的に言うと患者とその家族がより安心でき、医師を信頼することのできる医療を目指すということだ。そのために状況に応じて、病状や家族のするべきことなどを説明したりして、患者とその家族の心理状態にまで気を配ることのできる医師になりたいと思う。

     09019 尾下 豪人 




Friday, May 23, 1997 10:12:23 AM
差出人: Akari NIshi
タイトル: 09066

”医者は患者の立場になって考えなければならない”とよく言われる。しかし、実際に自分自身の出来事としてとらえ、患者の気持ちを理解するのは難しいと思う。その気持ちを運悪く、いや、おそらく運良く体験することになったのは、私が中一の時だった。
 小学六年の冬に、特発性の背柱側湾症という病気が見つかり、やむを得ず中学入学と同時に入院して、ギプスを巻いた。入院、と言ってもきちんとした学校(養護学校)が併設されていて、そこに通いながらの入院生活だった。その病院では、3分の2の人達が脳性マヒで、それ以外の人達も、寝たきり、あるいは車椅子で、歩くことのできる人はほとんどいなかった。私のように特発性の病気ならば、短期間の入院ですむのだが、寝たきりや車椅子の人達は、おそらくずっとそこで生活していたのだった。それまで普通の学校に通い、周りのみんなが健康という環境にいた私は、どれほどショックだったことか。しかも、寝たきりで身長1mにも満たないような人が、私と同じ勉強をし、定期テストを受け、また車椅子の人が元気にバレーや、バトミントンをしているのだ。私の病気の治療法といえば、せいぜい上体にギプスを巻いて固めることで、勉強や、歩くこと、少しの運動ならまったく問題はなかった。最初はそれでもかなり動謡したのだが、その病院でずっと生活する人から見れば、私はあまりにも幸せだったことだろう。結局一年ほどそこで生活したのだが、その間に脳性マヒの人達とも仲良くなり、動ける私たちが手足の不自由な人の食事やお風呂の世話をしたりして、看護婦さんの大変さなども、少しはわかるようになった。
 今思うと、この一年は私にとってなくてはならないものだった。入院患者がどれほど医者の回診を待ち望んでいるか、五体満足であることがどんなに幸せか、その他いろいろな事を教えてくれた。私が本気で医者になりたいと思ったのは高校にはいってからだが、もしもこの一年間の病院生活がなかったら、医者を目指す勇気はでなかっただろうと思う。これから実際に医学を学んでいく中で、目標はいろいろと変わっていくだろうが、中学の時に体験した患者の気持ちは常に忘れないでいたい。




Friday, May 23, 1997 5:37:36 PM
差出人: Rieko Nakajima
タイトル: 09057

 私が、医学部をはっきりと目指したのは、高二の頃でした。それまでは、大学にエスカレーター式にあがれる附属高校に通っていたので、その大学の中で一番レベルの高い文系の学部に入れればいい、と思ってました。しかし、将来について真剣に考えるにつれて、自分の意志でなく、親に与えられた道に進もうとしていることに矛盾を感じはじめました。
 そのような時、二つの出来事がありました。一つは、クラブの仲間が拒食症になったことです。彼女は日毎にやせていきました。栄養をとらなければいけないと頭ではわかっているけど、体が食物を受けつけないことに彼女は苦しんでいました。さらに、まわりの人のささいな言葉によって傷ついていました。彼女は、私の前で泣いて助けを求めてきました。その時、私は何もできませんでした。自分の無力さを感じました。それと同時に、人の心と体の関係について学びたくなりました。もう一つは、アメリカで肝臓の移植を受けた人の話を聞いたことです。彼は、一度は死ぬ覚悟をしていたそうです。しかし、彼は今、闘病生活に耐えながら活き活きと生きています。しかも、子供も生まれたそうです。私は、一人の命を救っただけでなく、新しい命も誕生させることになった、現代の医療技術のすごさを感じました。また、彼の姿を見て、今、生きていることのすばらしさを感じ、私も与えられた命を大切に生きなければならないと思いました。
 この二つの出来事は、私に多くのことを考えさせてくれました。本当は、文系ではなく、理系に進みたいと思っていること、しかも、人間について学びたいと思っていること、それまでは、ごまかしてきたけれど、正直な自分の気持ちが見えてきました。人の心と体の関係、生きていることのすばらしさを知りたい、それによって得る知識や技術を通して社会に貢献したいと思い、医学部を志望しました。




Monday, May 26, 1997 11:48:56 AM
差出人: Asami Satou
タイトル: 09042

 私には、年のはなれた2人の妹がいます。一番下の妹が生まれたとき、私は小学6年でした。そのときのことは、今でもよく覚えています。
 ちょうど冬休みだったので、毎日病院にかよいました。新生児室の前で、生まれたての妹を見ていました。家に帰ってきてからは、初めて寝返りをうったとき、はいはいをしたとき、立ち上がったとき、歩いたとき、など毎日の目に見える成長の過程を、喜びながらも、とても興味深く思っていました。
 妹の友達がうちに来たときは、私が遊び相手でした。様々な欲求をコントロールできない子供たちは、遊びのなかからいろいろなことを学んでいきました。そして、それにともなった心理変化はたいへん面白く、人の行動を客観的に見ることができるようになりました。私のなかで、人に対する興味が増していきました。
 ちょうどその頃、私が中学生のときでした。テレビでやっていた、妹と同じくらいの年齢の子供たち、内戦に苦しみ、飢餓に苦しむ子供たちの姿に、大きなショックを受けました。妹と同じくらいの年齢のはずなのに、痩せ細り、お腹だけふくらんだその子供たちには、笑顔は見られませんでした。そのときまで、まったく興味のなかった海外のそういった深刻な問題に注意を向けるようになりました。自分に何ができるか、どうしたら助けることができるのか、ずっと考え続けました。目の前に倒れている人がいたら、何かできる人になりたい。生まれた国がたまたま違っただけなのに、あんなに苦しんでいる子供たちを何とかして助けてあげたい。そういう思いから医者になることを決心しました。医者になれば、私にも何かできることがあるはず、恵まれた環境でぬくぬくと育ってきた私は、人の役にたちたい、と本気で思うようになりました。
 目的に向けた第一歩である医学部に入学することはできました。これからの6年間、そして卒業してからも、医者を目指した最初の気持ちを忘れずにいたいと思います。




Friday, May 23, 1997 5:48:40 PM
差出人: Yuuki Nakano
タイトル:

 「医師」。私がこの職業につこうと思ったのは、おそらくずっと前のことである。これといった理由もなく、何故だかそれを目指すようになっていた。中学生の時、将来の夢を「医師」と書いていた私だが、まだまだ先のことだと、進路について十分に考えることをしなかった。高校に進んだ私は、陸上部に入り、学校の授業と部活で一日が過ぎていく毎日を送るようになっていた。そして、二年生の夏休み、一人の後輩が葬式のために部活を休んだ。次の日、亡くなったのが彼の友達だと知って、私は一瞬信じられないような気持ちさえ覚えた。その頃私は、大学生になったら...、と考えることがよくあった。けれど、たった16年で一生を終えてしまうことだってあるのだ。この時私は、今まで進路について真剣に考えず、与えられた事しかやってこなかった自分が、何だか情けなく思えた。そんなことがあって間もなく、夏休みの中頃から、部活に出て来なくなった女の子がいた。新学期に見た時、その子は痩せて別人みたいだった。そのうち、学校にも出てこなくなって、入院したと聞いた。食べることが怖くて出来ないのだという。太っていたわけでもないのに、彼女は過度のダイエットをしていた。これを機に、私は心の病に関心を持つようになった。心の状態がどれだけ体に影響するのか、人の痛みや辛さを分かってはあげられなくても、少しでも癒すことができたらと、思うようになった。そして、改めて「医師」を目指すことを決意した。そんな訳で大学に来た私だが、医師になろうとしているにも関わらず、自分があまりにも実際の医療現場について知らなさすぎることを、今痛感している。今までは、与えられた課題のみをやるだけで、疑問を感じても追及しなければ、それでも過ごして行けた。けれど、医師を目指してここまで来た今、自分から積極的に学びとる姿勢で、何事にも臨まなくてはならない。自分が「医師」を選ぶうえで考えたことを、忘れないでおこうと思う。




Wednesday, May 21, 1997 11:52:49 AM
差出人: Tomohiko Sakamoto
タイトル: 医学部を目指した理由

 「将来の夢は何ですか?」そう尋ねられ、「医者になりたい」と答え始めたのは、小学生のころからだっただろうか。病理学を研究し、白衣を身にまとい仕事に熱中する父の姿を幼いころから見つめてきた私は、将来父のようになりたいと常に願ってきたものだった。
 仕事人間である父は、夜遅く家に帰ってきても仕事のことばかり考えていた。その姿に怒りを感じながらも、研究に没頭する父を時にはうらやましくも思ったものだった。その父の影響もあって、私にとって将来の自分の姿は、医師である自分しか想像できなかった。そういった意味では、医師を目指した動機など本当にたわいもないことであり、狭い視野でしか世の中をとらえられていないことは確かである。もっと広い視野で世界を眺めたいと思いつつ、これからはそれが必要であるとも思う。
 「国際化」、「情報化」という言葉は今まさに世界中で使われている。医学界においてもそれは例外ではない。これからの医師には、この激動する社会に対応できる能力が必要となることは言うまでもない。それと同時にこれまで大切にされてきた、医師としての良心が失われてはならない。今、日本社会でこれほど医療界における問題が生じているなかではなおさらのことであろう。豊かな情報力、技術力の中で心の貧しい医者にはなりたくない、そう願う。
 今、私は医師への道の第1歩をやっと踏み出したばかりである。医師という夢はまだまだ遠く、まして父の背中などまったく見えないところにある。前途多難、と言った感じである。宮崎医科大学の6年間において、医師としての知識を養うとともに、良い医師となれる要素も吸収していければ幸いである。高々19年間しか生きてきてはいないが、私のこれからの人生をを造りあげていくなかで最も重要な宮崎医科大生活となるだろう。今一度、幼いころに輝いていた父のすがたを思いだし、これからの宮崎医大生活が実りあるものにするため、全力で挑戦していきたいと思う。
 ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願いします。




Thursday, May 29, 1997 5:53:55 PM
差出人: Natsuko karasawa
タイトル: 医学を志した理由

 私は中学生の頃、生徒会での海外ボランティア活動や地域への奉仕活動を推進する立場にいました。その際これらの活動を通じて、少しでも多くの人の幸せに寄与する仕事につきたいと思うようになりました。それに加えて、家庭の事情もあり、幼い頃から医学には興味をもっていたので、いづれはそちらの方向へ進みたいと考えていました。そんな意識から高校では保健委員になり、保健室を訪れる人と話し、接する中から、心と体の症状は切り離すことができないのだということを感じました。又、中高と続けてきた水泳部の活動からは、目標とする大会に向けての健康管理がいかに重要であるかを感じました。
 しかし、何よりも私に大きな影響を与えたのは、7年にわたる祖父の闘病生活でした。私に確かな記憶はありませんが、祖父はかなりのヘビースモーカーで、タバコで死ねれば本望だと言っていたそうです。祖父は薬剤師の資格を持っていたのですから、タバコの害について知らないはずはありませんでした。その結果として、案の定肺癌を患いました。手術後の経過は順調で、1度は社会復帰を果たせるまでになったのですが、4年目にして絶対にひいてはいけないと言われていた風邪で発熱し、再手術。癌の再発ではなかったものの、その後は膿を取り除くドレーンをつけたままの在宅治療をすることになりました。胸の痛みと先の見えない不安い苦しんだ祖父は、次第に心のゆとりを失っていきました。私はこの時、温厚な性格であった人間が、病気1つで大きく変わってしまうことを目のあたりにしました。祖父の顔に再び笑みが戻ったのは、痛みを感じられなくなった最後の1週間でした。
 今現在、医療技術は次々に発展し、専門化が進んでいます。このことはこれからの時代、確かに必要なことだと思います。ただその一方で、精神的な問題やその人の日頃からの健康管理を含めた、総合的な医療も必要になってくると思うのです。私はそんな思いから、医学を志しました。




Thursday, May 29, 1997 2:49:51 PM
差出人: kaori Inoue
タイトル: 医学部を選んだ理由 09010

 私が医学部を選んだのには、大きく二つの理由があります。
 まず一つめは、医学という学問に、大変興味を持ったということです。私は、高校時代に生物を選択していました。生命の誕生から始まって、私たちの体内で起こっている事など、さまざまなことを学びました。一つの細胞が、細胞分裂を繰り返すことにより、複雑な一個体になったり、ホルモンにより恒常性が保たれていることなどを知って、人間の体内の機能がいかに精密かつ正確であるかには驚き、もっと知りたくなりました。しかし、高校の授業では限界があります。そこで、医学部に入ってより詳しく学びたいと思いました。
 もう一つの理由は、将来医師という職業につきたいということです。私は、昔から人と接する事が好きでした。ですから、将来は、そのような方向でと考えていました。高校生のとき、私は町の病院で行っているボランティアに行きました。そのボランティアは、ケースワーカーのかたがたと一緒に、寝た霧になってしまったり、一人暮しで日頃寂しい思いヲしているおじいさんおばあさんと、話をしたり、遊んだりするというものでした。私はおじいさんおばあさんといろいろな話をしました。孫の話など楽しい話もたくさんしましたが、衰えてきた体に対する不安を訴える人も多くいました。ケースワーカーの方の話によれば、社会的にも問題となっている高齢化ですが、私の育った町では、すでにずいぶん高齢者の割合が高くなっているそうなのです。しかし、医療的な面から見ても、将来の備えは不十分であるとのことでした。私は、地域医療に貢献したいと思いました。病気に関することは、誰でもやはり、お医者さんの説明が一番納得ができ、安心できるものだと思います。それならば、医師になろう、そう思いました。人と接することの多い職業でもあります。ここで私の進路がきまりました。
 以上の理由から、私は医学部を選びました。希望の学部に入れたことを、とても嬉しく思っています。これからも、初心を忘れずにがんばっていきたいと思います。




Wednesday, May 21, 1997 10:24:47 AM
差出人: Akihiro Yonei
タイトル: Fwd: 宿題

単刀直入に言って私は現在の医学、もしくは医師の患者に対する接しかたに疑問を抱いている。そこには、脳死、尊厳死、インフォムドコンセントなどいろいろある。      宮崎医大を受験するにあたって、また医師を志すものとして何冊かの本を読んできたが特に感銘を受けたのが、”死ぬ瞬間”(キューブラーロス)だ。これは、山崎章郎氏がホスピスケアに踏み切ったきっかけとなった書物でもある。               この中で筆者は、”家族は彼のことを良く知っているから、鎮痛剤の変わりに彼の好きな一杯の葡萄酒をついでやるだろう。それがかれにとって一番うれしいことだからだ。”とのべている。今現在、患者の立場にたって、今そのひとが何を一番求めているのか、何をしてやるべきか、それを理解し行動している医師がどれだけいるだろうか。      たいていの医師が、患者という人間を見るのではなく、患者のもつ病と対面しているような気がする。                                  学長が話されたことだが、生まれつき腕がない人を見て、われわれはふと同情の念を持ってしまう。しかし、当本人にすれば、生まれたときから足を自分の手足として生きているため、手がなくて不便だということはないわけだ。もちろんすべてがそうとは限らないが。                                       相手の立場にたち物事を考える重要さとその不可欠さを見にしみるように分かった。医療を行う上で医師と患者の信頼関係は最も大切なものであり、またそれは相手を良く理解することではじめて生まれるものだ。                       だから私は、医療の本当の在り方を追及したいと思い医学部を志望した。  




Thursday, May 29, 1997 2:59:05 PM
差出人: Aki Ueda
タイトル:

 何か人の役に立つ職業につきたいと思ってたどり着いたのが、医師という職業だった。なぜそんなことを思うようになったのかというと、きっかけは、ユニセフの東南アジアスタデイツアーに参加してタイ最大のスラム街、クロントーイ地区を訪れたことだった。そこで私が切に感じたことは、自分がいかに周囲に甘えて生きているかということだった。スラムの子供達の笑顔にふれて、私は何か彼等の役に立ちたいと思ったのである。
 将来のことを考えた時、様々な職業が頭に浮かんだ。本来文系の頭で、英語が大好きだった私は、留学したいとも思ったし、国の職員になりたいとも思った。ただ、病気がちになった祖母や母のことを考えると、私は医師を目指すんだ、という強い気持ちが次第に私の中で大きくなっていったのである。それが、今まで甘えっぱなしだった彼女達への恩返しにもなるし、ひいては世界中にいるクロントーイで出会ったような人々の役に立てる機会を得ることにもつながるのではないかと私は思った。テレビで見た国境なき医師団の活動の様子や、日本のAMDAの存在は、私の夢をますます大きくふくらませた。
 私は、医師として、自分が落ち着けたら、東南アジアに行って医療活動に加わりたいと思っている。各地で地道な活動続けているボランテイアの人達と一緒に活動してみたい。私のような世間知らずに、そんな大それたことができるのか、という気もするけれども、気持ちが強ければ、いつかかなうと信じている。タイで出会った子供たちの優しい微笑みを、世界中の人に分けてあげたい、そう思っている。




Friday, May 23, 1997 1:04:01 PM
差出人: Yuko Watanabe
タイトル: 09100 医者を目指した理由

 将来何になりたいかを初めて少し真剣に考えたのは小学校の4、5年の頃だったように思う。確か、その頃ナイチンゲールの伝記を読んでその一生に心を打たれ、ひそかに看護婦を志したような記憶がある。ただ、それはあこがれにすぎなかったのかもしれない。それから後も看護婦に限らず何か医療に携わる仕事がしたいということを何となくは思っていた。
 高校に入学して1年間は特に将来のことなど考えずに過ごしたが、高1から高2に上がる時に文系か理系かの選択をせまられて、初めて実際の問題として将来について考えた。それまで何となくではあったけれど医療関係の仕事につきたいと思っていたことと、時期的に薬剤師が注目されていたということもあって、その頃から将来は薬剤師か看護婦になろうと具体的に考え始めたが、医者になろうという事は考えてもみなかった。私立大学の医学部の学費は家にはとても払えないし、東京の国公立大学の医学部は学力的にかなり難しいし、地方の大学に行くということは頭の片隅にもなかったような状態で、別に医者になりたいとは思っていなかったので医者という選択肢は私の意識の中にはなかった。
 医者を志すようになったのは高2の夏からだった。高2の夏休みに祖母が入院したことがそのきっかけだった。入院した時点で祖母の命はあと1年と宣告されたことは私にとって大きなショックだったが、1人で祖母を初めて見舞いに行った日、ベットの上に力なく横たわる祖母の姿を見た時は本当に愕然とした。たった2、3週間前に会った時は結構元気そうにしていたのに、まるで別人だった。しかも、あまり弱音をはかなかった祖母が私に、もう嫌だと、医者になって欲しいと言ったのだ。病気が人間をそんなにも変えるということに驚かされた。それから私の中に医者という選択肢ができ、真剣に考えるようになった。その後も毎週1回は祖母の見舞いに行っていたが、その度に祖母は希望を失ってきているように見えた。本人には死の宣告はしていなかったが、一向によくならない病気に不安を抱いてはいたのだと思う。そんな祖母を見ているのは辛く、何とかしたいという思いはあったが、見舞い以外に私の出来ることなどなかった。祖母の主治医はすばらしい方で本当に患者の身になって惜しみない努力をして下さった。そんな医師の姿を見ていて私もそういう医師になりたいと強く思い、医者を目指すようになった。
 医者という仕事はやりがいはあるが、精神的にも肉体的にも大変な仕事であると思う。そのことを考えると正直言って自分が医者としてやっていけるかどうかという不安はある。しかし、医学部に入学して目標に一歩近づいた今、私が目指す医師のようになれるよう努力していきたい。




Thursday, May 22, 1997 11:41:10 AM
差出人: Masanobu Yoshida
タイトル: 09098

普通は、一心不乱に受験勉強に励んでいるはずの高校三年の夏休みに、部活の関係で私はタイの養護施設を訪問することができた。そして私はタイでいろいろなことを学んだ。それまでの私は、都市化すること、物質的に豊かになることが何よりも幸せであると考えていたので、建築関係の仕事に就こうと思っていた。しかし、施設を訪問し、いろいろな人の話を聞くことで一人一人幸せの尺度が 違うということを知った。都市化したり、物質的に豊かになることがタイのスラムに住む人々にとって幸せなのかどうかは誰にもわからない。都市化することで、許可なく住んでいる現在の家を追い出され不幸になるかもしれないからだ。また、豊かな自然を破壊することで不幸になる人もいるだろう。何か誰も不幸にならない仕事はないだろうかと私は考えた。そこで考えついたのが、医師という職業だった。なぜなら、医師は人の命を扱うため多大な責任があるが、人を幸せにすることはあっても不幸にすることはないだろうと考えたからだ。また、私が訪問したタイの養護施設の子供たちは、私を含め日本の若い人達よりも一日一日を一生懸命に生き、楽しそうに暮らしていた。日本人よりも精神面で豊かであると感じた。私は彼等を少しうらやましく思い、時間の束縛も規則もないが明日の食料の保証もない地に身を置き、彼等と共に暮らしてみたいと考えるようになった。そして、彼等は満足な医療活動を受けられないという話を聞いて、自分が医師として訪問することが、私にとっても彼等にとっても一番良いのではないかと考え、医師になるという意思がより一層強くなった。
私が医師を目指した理由は以上の二つ。即ち、自分が満足できる人生を送るために、自分の希望を叶えるために、私は、医師を目指すようになった。




Wednesday, May 21, 1997 11:29:08 AM
差出人: Toshiya Yoshida
タイトル: 09097

 ぼくが医者になろうと思った大きな理由は二つある。
 まず一つめの理由は医者であるぼくの母方の祖父の影響である。その祖父の影響も二種類ある。まず最初の理由は、母の兄弟が女ばかりだったので、僕がよしだの名前を残すために養子という特殊な立場にいたことが挙げられる。もちろん医者になることを前提に養子になったわけではないので、小さなときには祖父母も医者になることを期待していたわけではなかったが、高校に入ったころから無言の圧力はあった。もう一つの祖父の影響は、やはり近くにいて医者の仕事を見ていてすごいなあと思ったこと。その祖父は、84才という高齢にもかかわらず、一人でも見てほしいと来られる患者さんがいるうちは、やめられないと日に10人前後の患者を見ている現役の医者である。
 二つめの理由は自分がよく怪我をしていたということにある。小学校時代は毎年のようにお世話になっていた。一年生の時は足の裏に刺さった鉛筆のしんを、放っておいたのがもとで大変なことになった。二年生のときは学校の授業で電気について習ったとき、興味をもってピンセットをコンセントに突っ込んでしまった。その結果大火傷で大変なことになった。三年生のときは、脳振盪を起こしてきずいたら病院にいたこともあった。四年生のときは、近くのぼろぼろのテニスコートでのことだった。みんなで野球をやっていて、シングルスラインに引っかかって、ダブルスラインの錆びた釘で手のひらを切った。このとき初めて六針も縫うはめになってしまった。余談になるがこのとき将来テニスを始めるとは夢にも思っていなかった。五年生のときは、隣のいぬにかまれた。原因はお隣さんが散歩もさせずにそのいぬは欲求不満だったらしい。とんだ迷惑である。
 このように本当に医者のありがたみを実感してきた小学生時代だった。その結果、小学校を卒業するときの将来つきたい職業も医者と、難しいことも考えずに思っていた。
 さて小学校を卒業しても中学校高時代に怪我からは卒業できなかった。というのも、中学入学以来ソフトテニスを始めたので、足を捻挫したり、肘をひねったりと、怪我が絶えなかった。結果として医者のありがたみというのをさらに実感して高校で進路を決めるときも他の職業のことは考えずに考えずに医者になる道、つまり大学の医学部を志望した。
 結果としてぼくは自分のやりたいと思ってきた道に進むことの第一歩として医学部をとらえてきた。自分の目指してきた道だからこそこれからがんばって一人前の医者になりたいと思う。




Friday, May 23, 1997 5:12:41 PM
差出人: Manabu Yamashita
タイトル: 09096 医学部に入った理由

 医学部の魅力は何か。収入や社会的地位も魅力の一つだろう。最近は両者ともたいしたことはないそうであるが。
 しかし、私にとって最も魅力的なのは医学部の特殊性である。その特殊性とは6年間であるということ、卒業後の知識がどの大学でも一応一定水準を満たしていることなどである。
 前の大学では農学部であったが、他大学の農学部生と同様の知識を以っていたとは言い難い。先生方はそれぞれ自分の専門を主に授業をされるのでこちらの知識(試験対策)も自然とその分野に集中する。また、卒業論文が存在し、多くの学生はごく限られた分野以外のことには関心を示さなくなる。
 医学部の場合、卒業試験や国家試験の関係上特定の分野のみを勉強するというわけにはいかない。学長もおっしゃておられたが、医学部は卒業後医師になるという明確な目的があるため必要な知識はすべて身につけねばならない。これだけの知識を6年間かけて習得にあたるというのがとても魅力的に思えた。
 また、通常の専門学校では研究の道に進むのは難しいものがある。しかし、医学部にはたいていどの大学にも博士過程が存在し、その専門分野も多岐にわたっており、働きながら学位がとれるのも魅力である。
 また医学部が直接人体を扱えるのも重要であった。昆虫で新たな発見があっても世間の関心は低いが人体であったとすれば関心は高い。私は以前から人体に関する研究をしたいと思っていた。
 以上が医学部を志望した理由であり、入学したころの考えである。しかし最近では少しずつ自分の考えは変わりつつある。入学してもうすぐ2ヵ月であるが、その間医学概論などの授業により臨床医に気持ちが傾きはじめている。実際に患者に接している医師や看護婦の話を聞いていると、もちろん苦労はあるようだが、充実しているように感じられる。まだ今現在は研究者への気持ちが強いが今後6年間のあいだにどちらが本当に自分に向いているか見極めたいと思う。




Wednesday, May 21, 1997 11:58:58 AM
差出人: Jun Yamashita
タイトル: 09095

 人に見られるからといってあえて格好をつける必要はないと思うので自分の思うところを書きたいと思う。
 私が医学部を受験しようと思ったのは高3になってからである。別に小さい頃に重い病気になって医師にお世話になった訳でもなく、また家が医師だという訳でもない。今振り返ってみても真に医師になりたいと思い受験した訳でもなく、成績が結構良かったから受験を決意したような気がする。つまり、医師になることが目的でなく、医学部に合格すること自体が目的だったのである。私は地元の公立高校に通っていて成績も上位のほうだった。正直勉強に関してはかなり高いプライドを持っていた。結局私は現在世間で批判されているような偏差値が高いだけで医学部を目指す受験生に過ぎなかった。
 だがそんな私ではあるが高3の秋頃にとあるテレビ番組を見ていろいろ考えるようになった。それはある小児科病院についてのドキュメント番組だった。そこには私よりもはるかに小さい子供達が病気で苦しむ姿が記録されていた。今まで病気もせずに平凡に生活してきた私にとっては衝撃的だった。そこで私は病気で苦しむ小さい子供達に普通の生活を享受させてあげたいと心から思った。
 だが子供の場合は大人と異なり意志を明確に示さない場合が多く、それを理解するには豊かな人間性が要求される。私のような貧困な思考回路しか持たない人間では到底つとまらない。今後6年の大学生活を通して全力で勉強する他に、様々な経験を重ねて自己の貧困な思想を見つめ直したい。そしてこんな情けない私を医学部合格に導いてくれた周りの環境に感謝し、子供から本当に好かれる優しい「お医者さん」になりたい。




Wednesday, May 21, 1997 0:23:44 PM
差出人: Emi Yamasaki
タイトル: 09094

 私が医者を目指そうと思ったのは、まず子供のとき通っていた病院の先生の影響である。私は子供のとき喘息がひどく、またよく熱もだし、月に何度も病院へ通っていた。
そして、その病院の女の先生をみて、私は医者になりたいと思わされた。その先生は、
とりわけ優しいというわけでもないし、だだをこねる私は、よくしかられもした。しか
その先生は、小さい私でさえもわかるほどの勉強家であり、芯を持っている女性というのを感じさせられた。また、病気の説明や、薬の説明もしっかりやってくれる先生で、小さくてまだわからない私にも、詳しく説明してくれたのを覚えている。その後、いくつかの病院にいったが、まだ私にとってその先生以上のひとはいないと思う。
 しかし医者になる難しさを中学、高校と学年があがるにつれ感じた私は、しだいに医者になろうという気持ちが薄れていき、医療関係に携わろうと思いはじめた。よって、志望は薬学部になり、医学部など考えもしないようになっていた。しかし、薬学部もあきらめなければならないようなセンター試験の点数だった私は、浪人しようときめた。そして、
どうせ浪人するなら、1年間必死にやるなら、本当はなりたかった医者を目指そうと思い、予備校の寮に入り一生懸命にやることを決めた。この一年間は、本当に辛かった。
途中、何度かあきらめようと思ったが、一緒に医学部を目指していた友達の助けもあり、なんとかのりこえることができた。また、ときには、医者をやっているひとの話を聞いたりして、ますます医者になりたいと思わされた。その中でも、一人このひとのような医者になりたいと思わされる人がいて、その人の話は、特に勉強になった。この一年がなければわたしは、まったく変わっていただろう。
 今、医学を勉強できる環境にいる私は、とても幸せだと思う。この気持ちを忘れずにこれからもやっていきたい。




Wednesday, May 21, 1997 3:58:37 PM
差出人: Shunichi Yanai
タイトル: 09093

私の医学部に入ろうとしたきっかけを与えてくれたのは、父である。私が、小学校2年の頃、腹が痛くてたまらないときがあった。実は、盲腸であったのだが、苦しむ私を勇気づけてくれたし、白衣を身にまとった父の姿は、とっても抱擁力があり、頼れる存在であった。父をかっこいいと思ったし、父の様になりたいと思った。幼い頃の出来事は、その後の生き方に大きく左右すると思う。私の場合は、物心ついて始めて、父の働いている姿が深く心に刻まれている。子供にとって父はとても大きな存在であるし、あこがれでもある。子供はよく親の背中を見て生きていくといわれる。子供にとって父は尊敬できる人であるし、父の様になりたいと思うのはごく自然なことであると思う。このように、幼い頃はなりたいなあとだけ思っていたのだが、入試を受ける直前の出来事が、医学部に入ろうとする決定的な原因であった。その出来事というのは、祖父の他界であった。私の父は医者として祖父に最良の治療をしたと思う。父は医者であるから祖父の病気の状態をきちんと把握していたので、病状が悪化して覚悟は決めていたが、それでも最後まで治療し続けた。それにもかかわらず、とうとう昨年の十一月二十七日に他界した。父はやるだけのことをやったと思う。父と祖父が二人で病気と戦ったと思う。私箱の二人の戦いに感動した。本来の医療とは、医者が患者の病気を治すのではなく、患者の病気を患者と医者が協力して、倒すものである。人のからだには強い生命力があり、その生命力が病気を倒すと思う。私の父と祖父の戦いは、まさに医療のあるべき姿であると思う。私も医者になったら、父と祖父が戦ったように、患者とともに病気と戦っていきたいと思う。
 最後に、これからの時代は患者が医者を選んでくる時代になるという話をよく聞く。患者は、自分の前にいる医者が本当に病気と戦ってくれるかどうか、見定めてくるだろう。私は患者が自分を信頼してくれるような、そんな医者になりたい。学長が入学式のときに「これから6年間の勉強は、その後の60年のための土台だから、何一つ忘れてはならない。」とおっしゃった。これは、患者との信頼関係を築くために必要不可欠だと思う。だから、この6年間、必死に勉強して、父のような医者になりたい。これが私の医学部に入った理由である。




Wednesday, May 14, 1997 1:58:51 PM
差出人: Hiroyuki Morita
タイトル: 09092
Hiroyuki Morita

動機というものは、結構いい加減なものである。あとからいくらでも言い訳できるし、きれいごとを並べて済ませてしまうこともできる。率直に言わせてもらえば、医学部に入った人であろうと、他の学部に入った人であろうと、また、大学へいかず、就職した人であろうと、みんな本当の意味での自発的動機なんてほとんど持っていないのだ。それは単に、(運命)、もっといえば、(なりゆき)、というものでしかないと私は思う。
 野球が好きだからといって、プロ野球の選手になれるとは限らない。ずばぬけて才能があったという理由だけで、たいしてすきでもない野球をやっている人もいるだろう。また、”プロ野球選手になりたい”という言葉の裏には、”プロ野球選手になって、社会的、経済的に成功をおさめたい”という気持ちがまったくないとは言い切れない。本当に純粋に何かを志望するというのは普通の人間にはなかなか難しいことなのである。(フォレスト ガンプの様な人には、恐らく簡単なことなのだろうが、、、。)
 という、前置きはこれくらいにして、本題に入ります。
 私は、この3月まで一橋大学の6回生4年生でした。なぜ6年も学校にいたかというと、これも言い訳になるのですが、単位が足りなかった訳ではありません、ただ単に文系大学で遊んでいたかったからなのです。さらに言えば、就職したくなかったからなのです。きれいごとを言えば、就職活動の時期に震災の神戸で半年も働いていたからなのです。もっときれいごとを言えば、会社という組織の矛盾に自分が組み込まれることが自分にとっては絶対に許せなかったからなのです。と言うような話は、本当と言えば本当ですが、嘘といえば嘘でもあります。つまり、こんな話は、おちゃらけるための言い訳だったり、かっこつけるための言い訳だったりするのであり、自分の本当の気持ちを表わしてはいないのです。
 医学部に入った理由も、少なからず同じ様なものです。直接的なきっかけは、あるお医者さんに強く勧められ、援助までしてもらったこと、これですべてです。これ以外にも、いくつか理由を挙げられないことはありませんが(震災の現場を見て、医者の素晴しさを実感したとかなんとか)、どれをとっても”あとづけ”の、やっぱり”言い訳”にしか過ぎません。
 私は常に正直でありたいと思っています。しかし、知らず知らずのうちに自分にまで嘘をついていることが多いのも事実です。まだまだ、自分を嘘で固めている部分はあるのでしょうが、医学部に入った理由が、きれいごとだということにはすでに気付いてしまいました。これ以上自分に嘘はつけません。ただ一つ、上記の事実だけでご容赦願いたい次第であります。      以上。




Thursday, May 22, 1997 6:11:10 PM
差出人: Sunao Morisada
タイトル: 09091

僕は、中学生のころから、漁師になりたかった。海の男に憧れていたし、魚類という生物にも興味を持っていた。又、小さいころから生き物が好きだった。だから、高校二年生の終までは、水産学か農学部か理学部生物学科に行くつもりだった。
しかし、一冊の本がぼくの進路を変えてしまった。リチャード=プレストン著の「HOT ZONE」である。エボラ出血熱に関するドキュメンタリーで、エボラ出血熱の症状の描写がとても生々しかった。その本を読みながら、僕は、「気持ち悪ぃ」と思うと同時に、「面白そうだから、僕もウィルスの研究がしたい」と思うようになっていた。その後は、ウィルス関連、医学関連の本を読むことが増え、ますます学問としての医学への興味が大きくなっていった。その頃読んだ本のなかに、「笑うカイチュウ」という本があって、僕はいたく感動してしまった。そして、僕の興味は熱帯医学、寄生虫学へと移っていき、大学にいって勉強したくなった。このとき、医学部にいこうと決心した。
この時点では、僕は医学研究者を目指していた。
岡山には、医療ボランティアで有名なAMDAの本部がある。そのため、ローカルニュースでも、よくトピックに取り上げられている。災害地へ駆けつけて、医療活動を行う、医師、看護婦の姿、それらの活動と人々を支えるコーディネーターの苦労がテレビや新聞で伝えられている。それを見たり、聞いたりしているうちに、「僕もあの人達と一緒に将来は活動するんだ。」と、かってに決めてしまった。僕の知っているのは、災害地や発展途上国における医療のきれいな一面でしかない。現実は、僕が思っているよりもずっと厳しいだろう。しかしぼくはそれでもやりたい。そのためには、外科医になった方が良いと知って、外科医になろうと思った。また、熱帯医学も必要だと思った。そのために、僕が大学を選んだ最大の指標は「寄生虫学講座があって、国公立であること」である。宮崎に来てから知ったのだが、宮崎は「寄生虫の宝庫」らしい。故にちょっと期待している。




Monday, May 19, 1997 10:39:22 AM
差出人: Naoki Murai
タイトル: 09090

 私が医学部に入学した理由はそんなに複雑なものではなく、宮崎医科大学に入学する前の慶應義塾大学で経験したことが全てです。
 もともと私は、理工学部の機械工学科なるところに所属しておりました。第四学年時に行われた卒業研究のテーマが生体関係のもの(酸化低密度リポタンパクが生体内白血球のローリングに与える影響を接着分子の観点から見て)で、なんとなく生体に興味のあった私にとっては機械の勉強をするより何倍もの楽しさを知りましり、慶応時代で一番充実した生活を送っていました。18歳の頃は建築家になりたくて某大学の建築学科を受験しましたがセンター試験の出来がいまいちで、そのころ二次試験に自信のあった私は何とか挽回できるだろうと図に乗り、国立大学以外の私立大学は学科などあまりこだわらずに適当に出願しました。ところがふたを開けてみると、本命の大学には見事振られ、友達のあまり通っていない関東の大学にすることにしました。今考えると、医学部の医の字も頭にはなく、この文章を書いていて恥ずかしくなるほどに人生選択に関しては幼稚でした。しかし逆に、自分のとったその当時の選択に疑問を抱き続けたからこそ、自分が本当に将来をかけることの出来る事柄には敏感でした。それ故に、研究室に入って、はや三ヶ月ほどして自分の進むべき道は医学しかないと思いつつ、大学院の推薦をもらっていたので、このまま工学博士を目指すか、医学修士を目指すか、それとも医学部を再受験して臨床医を目指すかという選択を考えていました。さらに思ったことは、研究者が行っている研究が本当に患者さんに還元されているのだろうかという疑問でした。これらのことが複雑に化学反応を起こし、その結果医学部再受験の道を選びました。
 しかし自分の持っている医学部のイメージと実際とではどこかにギャップがあると思いますので、そういったギャップを良いように考えるようにして、初心貫徹を常に肝に銘じ患者さんに頼られるような名医を目指したいと思います。(860字)




Thursday, May 22, 1997 7:02:45 PM
差出人: Shintaro Minegishi
タイトル: 09089

 私が医学部に来た理由を話すためには、まず大学受験をした理由を話さなければなりません。私は法政大学第二高校という学校に通っていました。この高校は全学年の90%以上が法政大学にエスカレ-タ-式に進学する学校でした。私も例外ではなく、自分の考えもなく、両親のすすめによって、法政大学第二中学に入学した時から、高校の終りまでずっと法政大学に進学するつもりでした。私が大学入試をしようとする最大のきっかけを与えてくれたのは私の友人でした。中学、高校を通してのその友人は、私の周りの中で大学受験をしようとする数少ない人物でした。その友人が学校の授業中や休み時間中に受験勉強をしてるのを見たり、学校の行き帰りの間に将来の夢を聞いたりしているうちに、私の心の中でこのままでいいのだろうか、このまま楽をして社会に出て、やっていけるのだろうかと、何かに追いたてられるような気持ちが大きくなっていきました。それでも法政大学の推薦権を辞退する事は、今までやってきた六年間を否定するような気がして、なかなかできませんでした。そこで、私は自分が将来何になりたいのかという事を考えました。私の学校は理系と文系を区別するような事はしなかったので、まず私は文系、理系にこだわらず、自分が生涯を通じてやる事ができ、自分が誇りを持てる職業につこうと思いました。
 最初は弁護士になろうと考えましたが、法学部に入るのなら大学受験をする意味が希薄なので、やめました。私の母は進行性ではないのですが、リューマチという病気によって、手足の関節が多少変形していて、日常生活の中で常に鈍い痛みを持っています。その母を見ているうちに、自分は医師を目指したらどうだろうかと思い、医学部を目指しました。医学部に入った現在は、患者と同じ目の高さで考え、患者につくせる医者になるために、勉強にはげむだけでなく、ユニーク入試を実施している本学の環境の中で社会性を学んでいきたいと思います。




Wednesday, May 14, 1997 4:02:56 PM
差出人: Ryuma Mitsuhashi
タイトル: 09088

私は高校時代に軟式野球部に属していました。本当は硬式野球部に入部したかったのですが、校庭が狭く硬式野球部は存在しませんでした。
 私は小学生の頃から野球が好きで長年野球をしてきましたが昔から不思議に思ってきたことがありました。
その不思議なことに気付いたのは初めてセンターを守った時のことでした。
最初は内野以外のポジションを初めてまもったから変な感覚がするのかと思っていました。しかしなぜ変な感覚がするのかということを考えたらすぐにその変な感覚の原因がわかりました。それは投手が投げた瞬間にかなり高い確率で打球の来る方向がわかるということでした。そしてそのことを意識して以来、練習や試合の際に打球の行方を予測してきました。
 その結果、予測が当たる確率が徐々に上がり今では(ポジションにもよりますが)野球では8割、ソフトボールでは9割ぐらいの確率で打球の行方が予測できるようになりました。(なぜソフトボールの方がわかりやすいかはあまりよくわかりませんがおそらく草ソフトしかやったことがないためピッチャーの投げる球のスピードがないためその分脳が長時間情報処理をおこなえるからだとかんがえています。)おそらく投手の腕の振りと球の速さとコース、打者の振りかた、スイングの速さ等のさまざまな要素のデータベースが脳のどこかに蓄積されてそのデータを脳が統合して予測が可能になるのだろうと考えたのですがあくまで仮説にすぎず立証できないし、事実はどうなのか興味をもち脳の偉大さに感心しもっとよく知りたいという知的欲求がくすぐられたことが医学部に入ろうと決めた理由のひとつです。
 もう一つの理由は、進路を決める際に、人の役にたてて、かつ自分が興味をもっていることをしようと思い、なにがあるかなと考えたときに、昔から体を動かすことが好きだったこともありトレーナーになろうと思って両親に相談したところトレーナーは自分の判断で行える範囲が狭いのでおまえのやりたいことを行うには医者になったほうがよいと言われてスポーツ医になろうと考えたことがもう一つの理由です。以上が主な直接的な志望動機ですが、よく思い起こすと幼少の頃より両親は医者になれと一言も言わなかったにもかかわらず父を見てきて自然と自分は医者になるんだという思いがあったような気もします。




Tuesday, May 20, 1997 0:48:08 PM
差出人: Hiroshi Mizuma
タイトル: 09087

 高校時代より、医師という職業に漠然と憧憬を抱いていた。しかし、当時は「医師になると自分が死ぬ時期が分かってしまう」ことが嫌だと思い、工学部に進学した。
 卒業後、とある民間会社に就職した私は、本を読み出した。一般にビジネス書と言われる高杉良、大下英治等々である。そこで私が痛感したのは、「三〇歳までは修行である」ということである。その後、読書の幅が拡がり、私は次第に人を助ける仕事をしたいと思い出した。
 私の結論では、人を助ける仕事とは「弁護士」か「医師」である。二つの職業を考えたわけだが、私がそこで「医師」を選択したのは、まず第一に国家試験の合格率である。確かに、医学部を卒業した者にしか医師国家試験の受験資格は与えられないが、司法試験に合格するよりも医学部に合格する方が容易だと考えた。ここで私が気にかかったのは「三〇歳までは修行である」という自分の思いである。医学部で6年も学んでいると三〇歳では卒業さえも出来ない。もし、二八歳で司法試験に合格出来れば、三〇歳には弁護士として登録が可能である。そこで第二の理由である。
 私はすでに三人の友人を亡くし、うち二人は交通事故死である。私はその死に際して残された者の悲しみを考えた。「親より先に死ぬのは最大の親不孝」と言われる。当然子供に死なれた親の悲しみは甚大であろう。が、私の印象に一番残っているのは、突然恋人を失ってしまった人間の姿であった。「気の毒で見ていられない」気持ちを当時初めて持った。死者は当然生き返らないが、恋人を失った人にはまだまだこれからの人生がある。今後の人生の中で「もし、あの人が生きていれば…」ときっと思うだろう。年間交通事故で一万人前後の人が命を落としている。そのまわりで同じ数以上の人が深い悲しみを感じている。そうした人をほんの一人でも少なくすることは出来ないだろうか?私に何か出来ることは無いか?と、私は考えたのだ。
 以前抱いていた「自分が死ぬ時期が分かる」ことに対する嫌悪感は微塵もなく、逆に知るべきだと思うようになった。今年の一月以来朝日新聞において、高齢者の医療がシリーズ記事であった。そこで私は人が死を如何に迎えるべきかを思い、人が死ぬことも生の一部であると考え出した。人は必ず死ぬという明らかな事実を認め、生の一部としてその人の哲学の手伝いが出来ないか?第三の理由である。
(1083文字 1行50文字換算)




Friday, May 23, 1997 4:34:27 PM
差出人: Eiyu Matumoto
タイトル: 09086

 「医学部」に行こうと思ったのは高二の頃である。それまで私は中学校の教師になる予定であった。毎日を"若い人達"一緒に時間を共有することで、社会の固定観念にとらわれることなく自由に生きてみたかったし、自分で教えることで、他人に何らかの影響を与えてみたい気持ちもあった。しかし、実際の話、いじめは教師の責任になるし、ちょっとたたいただけで「暴力教師」のレッテルをはられてまう現代である。めんどうくさくなって、結局やめてしまった。
 何も考えず、何にも興味はなく高三になった。しかし夢がなくても勉強はしなくちゃ損である。目標のないままダラダラとし、何となく琉球大学の医学部を受けた。理由は沖縄に住んでみたかったからである。結果は不合格。浪人することになった。
 浪人時代、私は一ヵ月学校に通っただけでパッタリと行くのをやめた。おもしろくないからであった。そして毎日本を読んだ。小説7、論説3の割合で読みまくった。その中でホスピスをあつかったものがあり、興味を覚えた。それが医学部志望の理由である。ホスピスの中での医療はなんともいえず静的である絶対に亡くなってゆく人しか入院させず、苦痛をとり、QOLを守る手伝いをする。普通の医者はいわば「病気と闘う」人々だが、ホスピスの医者は全く医者らしくはない。私はなぜかその医者らしくない姿に自分を重ねてみた時に、合っていると考えたのだ。実際は大変な仕事なんだろうなと思う。こんな面倒くさがり屋には荷が重いのもうすうす感じる。でも結局、他に興味を覚えないのだ。正確にいえば、ちょっと興味があって、他に興味がないから医学部を目指したのである。先生方から見れば、なんでこんな奴を・・・と思われるかもしれないのだが。
 医学部に入って以来1ヵ月がすぎようとしているが、最近自分が医者になるということに疑問を感じ、いつも自問自答している。明確で具体的な動機や方向性が生まれてくるのはもう少し後になるだろう。




Thursday, May 22, 1997 2:14:07 AM
差出人: Mika Makimura
タイトル: 09085

 私がはじめて医師という職業にあこがれをもったのは小学校4年生のときで、そのきっかけは祖母の入院でした。胃癌で入院した祖母は(病名は胃潰瘍と教えられていましたが)主治医に絶対的な信頼を寄せていて、私も病院で先生にあうたびに尊敬のまなざしを向けたものでした。しかし、その医師に対するあこがれはしだいに「自分も医師として働けるようになりたい」という願望に変わっていきました。そんなとき、祖母の癌が再発し、肺、食道、小腸、の一部と、胆嚢、腹膜を切除することになりました。主治医の先生も、今回は手術をしても一ヵ月生きられるかどうかわからない、と言い、私の母に手術をするかどうかと尋ねました。母は、万に一つの可能性に賭けてみたいという気持ちともう祖母に苦しい思いをさせたくないという気持ちの間で悩んでどうにも決心がつきかねていましたが、その母の心を決めたのは主治医の先生の「やってみましょう」ということばでした。手術の結果は大成功ともいえるもので、現在も祖母は元気です。私はこのとき、患者とその家族にとって医師がいかに大きな存在であるかということを痛感し、そして、医学部に進学して医師になりたいと強く思いました。
 もちろん、なりたいと思った職業は医師だけではありませんでした。中学校に入ってから美術に興味を持ち、建築家になりたいと思ったこともありましたし、デザイナーになりたいと思ったこともありました。しかし、私が一生を賭けてやりたいと思える職業は医師いがいにありませんでした。
 人の命に関わる職業であるゆえの緊張感や責任、そして、仕事をやり遂げたときの満足感、それは医師でなくては感じられないものだと思います。自分の興味のあることを追求していきたい、自分の一生を満足できるものにしたい、それが私が医師を目指した理由です。




Friday, May 23, 1997 1:04:04 PM
差出人: rie Honma
タイトル: 09084 医学部に入った理由

 私は物心ついた頃から何となく医者になりたいと思っていた。でも、それには全然はっきりした理由などなかった。私は幼い頃から人体の仕組に興味があったが、同様に動物や植物にも興味があったため、あのままいけば、今頃獣医や生物学者を目指していたかもしれない。私が小学5年の時に見た、あるテレビ番組が、今私がここにいる1番の理由だと思う。
 その番組は、”驚異の小宇宙 人体”という番組で、文字通り人体の仕組について6回シリーズで紹介するというものだった。大変高度な内容ながら、それを非常に分かりやすく説明しており、私はたちまちその番組の虜となった。なかでも、最終回にあたる6回目で紹介された免疫の仕組に大変興味を抱いた。それから私は、人体の仕組を、そしてなにより免疫の仕組を学ぶために、どうしても医学部に入らねばならなくなった。その後、中学校、高校と進み、私はどちらでも生物部に所属した。その時に、両生類や爬虫類に慣れ親しみ、医者になろうか両生類や爬虫類の研究者になろうかと悩んだ事もあったが、やはり小学5年の時からの憧れである免疫学の魅力には勝てず、医学部のみを目指してやってきた。
 高校の時には、将来自分が何になりたいのか全然分からないと言っている友人達も、私の周りには数多くいて、自分が確たる夢を持っている事は幸せな事なんだろうなと思っていた。しかしその反面、もし医学部に入れなかったら一体どうしたら良いのだろうと思う度に、夢がはっきり決まってしまっているのもけっして良い事ではないなと思う事もしばしばだった。けれども、こうして運良く入学する事のできた今は、幼い頃から追続けた夢だけにその分充実感も大きいだろうと思っている。私はまだ入ったばかりで何も分かってはいないが、今の所は小学5年から思い続けた通り免疫学の研究医になりたいと思う。
 きっと私と同じ様に医学部を目指していた受験生を蹴落として念願の医学部に入ることが出来たのだから、精一杯努力していこうと思う。2年の免疫学の授業ではレポートを宮医大のホームページに乗せる様なので、コンピューターも一刻も早く使いこなし活用できる様、頑張っていこうと思っている。




Thursday, May 15, 1997 4:14:29 PM
差出人: Nagako Horikawa
タイトル: 09083

 医者という職業は、人の命を預かるという点では、責任の重い職業です。それなのに、どうして、医者になりたいという人が多いのだろうと、高校1年の夏までは不思議に思っていました。
 私が、医者になりたいと考えた理由は2つあります。1つは、高校1年の時、祖母が亡くなったことです。祖母は、末期癌で、半年ぐらい入院していました。祖母を看病する中で、日に日に弱っていく祖母の姿を、私は目のあたりにしました。祖母は、誇りの高い人で、自分ができることは何でもし、いつでも、シャキッとしたひとでしたが、入院生活が長くなるに連れて、歩けなくなり、自分でご飯を食べたり、トイレに行けったりできなくなりました。看病している私たちが色々してあげるのですが、あの誇りの高い祖母が、まさかこんな状態になるとは思いもしなっかった。そんな中で、私は、ふと、人間の体は、年とともに衰えていくけど、気持ちと言うものは衰えない。もし、自分が同じ立場なら、自分で好きなように、好きなだけご飯が食べたいし、自分で行きたいときに、トイレに行きたいと思うだろう。もしかして、おばあちゃんもそう考えているのではー。私は、人間の体の発達や衰退の過程がもっと知りたいと思いました。そのためには、医学部で勉強するしかないと思いました。
 2つ目の理由は、高校2年の時に右膝の前十字靱帯を切って入院したことです。手術をして車椅子の生活が1ヵ月程続いたが、自分でたって歩くことはもちろん、お風呂に入ったり、トイレに行ったりと怪我をする前には当り前にできたことが、一人ですることができませんでした。このとき、私は、祖母もこんな気持ちだったのではないかと今までよりも強く思いました。
 このような体験から、人には、表にでない<気持ち>というものがあり、それが患者であれば、なおさら、多少なりとも、心に痛みがあるのではないかと考えました。私でさえ、手術する前日は、もう歩けなくなるのではないかと思ったぐらいですから。私は、将来医者になりたいけど、ただ技術だけが優れた医者ではなくて、人の心の痛みがわかる医者になりたいと思っています。そのために、大学では、医学の勉強だけでなく、様々な人とつきあい、いろんなことを吸収し、自分を大きくしたいです。6年間では、色々なことがあると思いますが、その度に、自分が成長できればと思います。頑張りますので、宜しくお願いします。




Thursday, May 22, 1997 0:20:20 PM
差出人: Munetomo Futami
タイトル: 09082

 わたしが医師になりたいと思いはじめたのは、小学校の五、六年生のことだった。それ以降も医師を目指し続けたわけであるが、年齢が変わるにしたがって、医師に対する考え方も、変わってきた。
 わたしは、子供の頃、病気がちでからだが弱かった。真夜中に熱を出しては、かかりつけの医師のところに通っていた。そのときに、いやな顔ひとつしないで、笑顔でいつも接してくれた先生がいた。私は、その先生に感謝するとともに、強いあこがれを抱くようになった。
 しかし、少しずつ色々なことがわかってくるうちに、医師が起こしたさまざまな事件があることを知った。例えば最近で言えば、薬害エイズや福祉を手段として金儲けしようといった事件である。本来身体や、精神を病んでいて困っている人を助けるのが医師でわないだろうかという疑問が生まれてきた。そしてこのままでは医療に対して国民が不信感を抱いてしまうんでないかと思った。わたしはそこで昔受けたあのやさしい介護を少しでもおおくの人にして、医療を安心して受けてもらえるようにしたいと思った。それが私の最大の理由である。
 また、医学とは、非常に危険をはらんだ学問であると私は考える。
人間の体のなかでは、さまざまな科学反応が絶え間なく継続している。その反応を一つ一つ研究していくのも、医学の大切な分野であると思う。だけどそこで人間性を失わないようにしなければならない。つまり医師という職業は科学という非生物的なものを追求しながら、人間的な、温かさも同時に持ち合わせないといけないのである。わたしは、そのような職業に魅力を感じ、やりがいを感じた。
 わたしはこれから六年間、宮崎医科大学で医学の大切さと、温かさを学びとりたい。そして、将来、わたしの患者が同じ様なことを感じてもらえるような、医師になりたい。




Wednesday, May 21, 1997 11:16:21 AM
差出人: Ayako Fujinami
タイトル: 09081

 高校のとき、テレビで、癌でなくなった人が手術をしなければ、あと数ヵ月は生きられたかもしれない、というニュースを見ました。そのときまで、手術をすれば病気は良くなるものだ、と思っていたのでかなりショックでした。手術をする、しないについても自分で選択しなければならないのです。自分の生死の問題なので、少ない完治の可能性に賭けるか、数ヵ月とはわかっていてもそっちをとるのかは、自分で決めなければならない。しかし、私は医者というものは絶対的な権力を持っていると思っていたので、自分で決めるのではなく医者が決めているのかもしれない、とも考えました。このニュースから医者になりたいと思うようになりました。
 それからいろいろな医療の番組を見るようになりました。救急医療の現場を見たときは、何にんもの人が一生懸命一人の人の命を救おうとしているのに感動しました。そして逆に、救えない人もいる、ということがショックでした。これは小児科での番組を見たときにもっと強く感じましたが、こんなに小さいのに、こんなにがんばってるのに助けてあげられない。医者は万能ではないから当り前のことなのですが、やはりとても悲しかったです。それまでは、医者になって患者さんを助けてあげたい、と思っていましたが、いろいろ見ていくうちに、医者になって患者さんの苦しみ、痛みを少しでも軽くしてあげたい、と思うようになりました。
 その後、祖父が倒れたとき、説明はあったのだと思いますが、家族の誰もがどういう状況なのか、この先はどこまでよくなるのか、などがわかっていませんでした。もっともっと知りたい、と思いました。よくニュースになるように、インフォームド、コンセントの問題で、説明不足から自分の望む治療を受けられない、ということもあります。そのまま生死に結び付く問題です。自分で把握していたい、と思いました。また、祖父が驚くほど早く回復して、また普通の生活ができるようになったとき、人間はすごいなあと思いました。そしてすごくうれしそうでした。もっともっとその笑顔が見たいと思いました。
 これが、私が医者を志望した理由です。




Thursday, May 22, 1997 6:45:57 PM
差出人: Koushirou Fujisawa
タイトル: 09080

 小さなとき、窓から落ち、左肘関節を開放骨折した経験があります。聖マリアンナ病院というところで大きな手術を2度受けました。子供だった私の体力を考え、それ以上の手術は危険だという判断がくだされました
。その結果私の左腕にはおおきな縫合痕と歪な関節だけが残りました。あ の時、今でいう医療ミスだったのにも関わらず何も詳しい現実を知ること のできなかった我々は結局何も訴える術もなくそのまま退院しました。幼 いながらに私は医師達に対する恨みにも似た失望感を感じた事を今でも忘 れません。確かに医師は世界中で必要とされ、戦争、災害、病気、飢餓が 起こった地域では必然的に需要が高まります。しかし、その中にも質の悪 い医師達が存在し、その医師達の被害を受ける人達がいることはいなめません。手術による後遺症、投薬の失敗による病状悪化は全て医師の判断ミ ス、究極的には医師の質の低下だと思います。しかしただの1個人でしかな い私が何を言ってもそれは何も効果を持たないということも事実です。そこで考えたことが私自身が医学部に入る事でした。医学を知り、現場に携わる事ができて初めて医師の質が落ちる事の根本を理解できるとおもいました。オープンになったとは言え医学の世界は、それに直接関わる人にし
か触れられない部分があることは事実です。私が医学部に入った理由は、医師でないと触れられない世界に触れるため、そして質の悪い医師はどのようなシステムによりつくられてしまうかを解明し、少しでもそれを改善 する力になれたらと思ったからです。直接自分の手で、患者を助けるだけ の技量や、情熱を持たない者が医師の免許を取る事ができるという現実に 終止符をうつことを目標にがんばります。もちろんミイラ取りがミイラに ならないよう、また、それだけの事を言えるだけの医師としての腕を自分 の人生の中で身につけていきたいと思います。特に宮崎医大をえらんだりゆうは、1年度から専門の授業があり、少しでも早く医学の世界に関わる ことができることと、他大学にはない色々な経歴を持つ人がおおく、様々 人による医学というものの捕え方や今の医療の現状に対する考え方をいろいろな角度から見、視野を広げようと思ったからです。





Friday, May 23, 1997 5:47:25 PM
差出人: Yoshimi Fukushima
タイトル: 09079

 「どうして医者になろうと思ったのか」という質問に答えるのは、得意ではない。これまで身内の死を経験したこともなく、重病を患ったこともなく、これといって決定的な理由を持たない為、答えにくいのだ。私が今ここに居るのは.決定的というよりも、小さな出来事の積み重ねによる結果だといった方が適当だと思う。私の実家は、以前祖母が助産院を、母が託児所を経営しており、新生児や幼児と接する機会が多かった。そのような環境の影響からか、知らず知らずのうちに、生命の誕生や人間の身体の発達、巧妙にできている人体構造について、興味を抱いてきた。また、一緒に暮らしている祖父が病弱で、死について考えることがよくあり、このことも、生と死や人間についての関心を深めたように思う。こういった背景が、私が「医学に興味を持った理由」である。
 ここであえて「医者になろうと思った理由」と書かなかったことには、わけがある。大ざっぱに、その経緯を述べてみたい。
 一時期は、確かに医者になりたいと思っていた。幼い頃から、何故だかわからないが、周囲から医者になるように言われ、その為、小学生位までは何の疑問を抱くこともなく、自分は将来医者になるんだと思い続けていたからだ。しかし、反抗期を迎え、親や周囲の思い通りになることが嫌だった私は、教師や、考古学者、哲学者、主婦、貿易関係の仕事等、様々な職種に興味を持った。意地でも医者にはなりたくなかった。高校に入り、これからの自分について真剣に考えだしたとき、これまでの考えが、主体性にかけた非常に甘い考えであることに気付きはじめた。同時に、本当に自分がやりたいこと、そして、より多くの人の役に立つことをしたいと思うようになった。こうして選んだ道が医学部への進学だったわけである。全ての人間が持つもの。それは心身、生、死だと思う。その点で、より多くの人と関わり、何らかの形で役に立てるだろうし、何より以前から興味を持っていた学問だった。
 世間一般では、「医学部入学」イコール「将来医者」という公式があるようだが、私はまだどうするか決めていない。私の様な人間が医者になってもいいのかという不安もあるし、何かの研究をしたいと思うかもしれない。卒業までに、人間的に大きくなり、良医の資質が身につけられれば、医者を生涯の職業にしたいと思う。




Wednesday, May 21, 1997 0:40:10 PM
差出人: Shinji Hirose
タイトル: 09077

僕は、高校に入るまでは将来の職業について真剣に考えたことはありませんでした。
高校に入って僕は当然ですが、人生において職業というものは人生そのものを決定する大きな要素になると思いました。そこで、大学の学部を選ぶときに自分が将来就く職業について真剣に考えてみました。僕の高校は世にいう進学校だったので2年から文、理 を分けました。僕は、理系科目の方が得意だったので何となく理系コースに所属していました。理系といえば、理、工、医、歯、薬、農などの学部がありますが、僕は工学部と医学部のどちらかまよっていました。そんな時、高校の文化祭で卒業して医師になった先輩の講演があり、僕はそれを聞いてとても医学部に行きたくなりました。そんなかんじで僕は医師になりたいと思いました。その理由は、医学が自然科学の中で最も人間との関わりが深く、僕自身、人間の体の神秘さにとても興味を感じたからです。専門性と人間性が同時に問われる学問、そういう学問に僕は魅了され、一生やり通せるような気がしました。          
 医師の仕事は人命に関与します。病気の治療、予防、生命の保持のための知識、方法、技術を確実に身につけ、さらにそれらを鍛えていくことが必要です。しかし、医学の問題は、学問、技術の上に人間の問題が関わってきます。つまり、いかに技術が進歩しても、その技術だけでは患者が不安に思ったり失望に陥ったりする心の部分までは立ち入ることはできません。安楽死、脳死、臓器移植、ホスピス、ガン告知などの議論を聞いていると、僕は自分の人間観の未熟さを感じます。例えば、安楽死という問題でも、生命尊重の考えや病人の意思をどう止揚したらよいのかわかりません。
 これから、僕は医学を学び、医学に携わり、多くの人々と交わることで人間というものを認識することに努めようと思います。そして、僕の目指す「常に患者の心を意識している医師」という医師像に近づける様に頑張りたいです。




Friday, May 16, 1997 4:45:03 PM
差出人: Tomoko Hiramine
タイトル: 09076

私が医師になりたいと思うようになったのは、小さい頃から、ひどいアトピー性皮膚炎に悩んできたことがきっかけです。          高校1年生の時、ステロイド剤を完全にやめたのをきっかけに、私のアトピー性皮膚炎は爆発的に悪化しました。肌は、醜くひび割れ、ただれた様な状態になり、吐き気と寒気を伴う痒みと痛みで、眠れない夜が、一週間も二週間も続きました。人と顔を合わせるのさえ嫌になり、学校と家を行き来するだけの毎日であり、その頃は、本当に地獄だとおもっていました。         初めのうちは、自分だけが苦しんでいるような錯覚をおこして、いらいらしていることが多かったように思います。しかし、テレビや新聞などで、難病と闘っている人々や、生まれた環境のせいだけで食料や医薬品がまわらず、次々と倒れていくアフリカの子供たちの姿を見ているうちに、自分の勝手な思い込みが恥ずかしく思えました。そして、そのような人々の役にたつことがしたいと思うようになりました。              ちょうど進路をきめる時期であったこともあり、それまではあまり考えたことがなかった医師という職業につき、病気で苦しんだり、悩んだりしている人々の手助けがしたいと思うようになったのです。                             また、ちょうどその頃祖母が倒れ、ほとんど寝たきりになってしまい、祖父母と同居することになりました。いつも人一倍元気な祖母だったので、やせ衰え、ベットに寝ている祖母の姿は痛々しく、まるで別人のようにみえました。祖父はもう90歳で自分では何もしようとせず、祖母は体が動かないので、食事や排泄の世話、入浴など介護には力仕事が多く、家族だけでは人手が足りないことが実感されました。祖父母の介護を手伝ううちには、家で介護することが本当に祖父母のためになっているのだろうかと思ったり、祖父母が喜んでくれると、やっぱり家族といっしょにいるほうがいいんだとおもったりと、家族で介護することの大変さや、難しさを感じることも度々ありました。高齢化社会の進行する現在、医療の果たさねばならない役割はますます大きくなってきていると実感させられる体験でした。                                 私は、医師にはしっかりした技術と人間性が必要だと思います。技術がなくては、病気を診察することも、治療することもできないし、またしっかりとした人間性がなくては、患者の悩みや、苦しみを理解することができないだろうと思うからです。私はまだ医学的な知識はほとんどなく、人間的にも貧弱ですが、これからの医学部での6年間を通して、しっかりとした技術と人間性を培っていきたいとおもいます。                  




Thursday, May 22, 1997 2:13:16 PM
差出人: Kiyoshi Higa
タイトル: 09075

 昭和53年に僕は南国沖縄で生まれた。それがどういうわけか、中学、高校と福岡の進学校に行くことになった。入学する当初は特に自分の将来について考えていたわけではない。ただ必至に勉強したら合格したというだけである。まあ、今思うとそれも皆偶然ではない気がする。周りの友人たちのほとんどが医者の長男や弁護士の息子、又は有名国立大学の教授の息子といったふうだった。彼等は、皆幼少の頃から『良くできる!頭がいい!』と言われてきた部類の人々なのだ。それからが大変だった。
 初めは学校の先生の話していることもチンプンカンプンで、授業についていくのも精一杯だった。学校に行くのが嫌なときもよくあった。それでも、なんとか高校2年生までこぎつけた。その頃である、自分が初めて自分自信の将来について考えたのは。教師、エンジニア、公務員、サラリーマン、いろいろである。本当に悩んだ末、一つの結論を出した。自分がつく職業は、ぼく自信が一生楽しんでやれて、かつ人のためになる職業にしようということである。それが『Doctor』という職業である。
 僕が考える医師とは、患者の怪我や病気を医師自身がいやすのではなく、医師とはその手助けをするだけだと思う。現代社会では、科学技術も発達しているし、薬や医療技術も日々進歩している。それなのに、まだまだ医学の面で残された問題は山積みである。これからは、患者の肉体的痛みだけを取り除くのではなく、心の痛みを取り除く、もしくは和らげることのできる医師が求められると思う。
 自分は、将来精神科で働いてみたい。患者の内面を少しでも理解してあげられる医師になりたいと思う。そのために、勉強のみならずいろんな方面に精力的に参加し、いろんな経験をして充実した医大生活を送りたい。それでいてなるべくなら留年せず、6年間で卒業したいと思っている今日この頃だ。
                          おわり




Wednesday, May 21, 1997 1:05:31 PM
差出人: Yuu Harada
タイトル: 09074

 高校1年の時、私は数学が苦手だったので、法学部に行って理系とは縁を切ろうと考えていた。一生続けられる職業に就きたかったが、明確なビジョンは持てなかった。そんな時に出会ったのが、「動物のお医者さん」だった。獣医学部の学生達の生活を書いた漫画であるが、その時初めて、医者という選択肢がでてきたのだ。文系の方が得意だったので、周りはびっくりしたようだったが、私の将来の理想としては、これ以上の物はないように思われた。
 一つめの理由としては、前にも書いたが一生続けられること。二つめの理由としては月並みではあるが、直接人の役にたてる職業であったからである。法学部に行こうと考えていた時は、国連職員になって発展途上国で仕事をしたかったが、医者の数が少ないと聞いていたので、より可能性が広がると思ったのだ。
 もちろん、一生を決めることであるから自分の興味のもてる様々な分野の本を読んでみたが、医療関係の話が一番考えさせられることが、多かった。エイズ、人工受精、末期医療、在宅医療etc  どれ一つとってみてもすぐに答えの出る問題ではないし、ただ一つの答えが出るものでもない。その中で特に興味がわいたのが、在宅医療であった。小学生の時、友人の母親がリュウマチで、ほとんどいつも寝たきりであった。そして最近、私自身の母がリュウマチが悪化してきた。ひょっとしたら、私の母もあんなふうになってしまうのではないか、という不安がしたときに、切実に医師になりたいと考えるようになった。
 訪問医療は、まだまだ始まったばかりで、これから発展するかもしれないが、現状では採算がとれない、患者さんの負担をどうするか、看護婦、医者の協力が得にくい等、問題が山積みである。しかし、もし、訪問医療がうまくいけば、私だけではなく大勢の人達が、介護の苦労から少しは解放されるだろうし、病院にやむなく入院させっぱなしになっている人達も、家で介護することができるようになるかもしれない。 私の母が寝たきりになったとしても、病院にあづけきりという事はしたくない。私の場合は、結局、理想よりも必要にせまられて医師になろうと本気で考えるようになったということである。
 初めから、こうあるべきだと決めつけて考えてしまうと、自分自身の可能性を狭めてしまうことになる。まだ、経験不足ではあるが、こうだと自分で思っていても、色々な偶然が重なって思わぬ方向に事態が進んでしまうことも多い。私も偶然が重なって、これもなにかの縁と思いながら、医者になろうと決めたのだから、こればかりは、最後まで諦めずに頑張ろうと考えている。




Wednesday, May 21, 1997 0:18:02 PM
差出人: Noriko Hayami
タイトル: 09073

 私が医師を目指した理由はとても単純で、ただ医学に興味があったからです。私は結構何にでも興味を持ちますが、知れば知るほど飽きてきました。しかし医学においては知れば知るほど楽しくなって来るし、自分の体のことなので一生興味を持ちながら勉強して行けると思ったのです。
 もう一つの理由は、医学部という特異な学部にあります。私は高校の頃から、しだいに学習することに対しての意義を見い出せなくなっていました。小、中学校程度の授業の内容なら、生活していく上での教養、知識として習得できましたが、高校のようにハイレベルになるにつれて、無意味なことをしているのではないかという思いが強まってきました。丸暗記した公式をただ当てはめるだけの数学や会話はできないのに文法だけ難しくなっていく英語は、あまりにも退屈でした。そこで私は専門的な大学に入ることを決めました。1つ目の理由のように、医学に興味があり、またその学部の専門性ゆえに医学部に入りました。 
 以上のように、私が医師を志望したのは主に自分のためです。他の人は、「人のために」とか「昔、医師に良くしてもらったから」というような、聞いていて感動するような理由で医師になろうと思った人が多いと思いますが、私はそうではありませんでした。だから私は他の人の理由を聞くと何となくうしろめたい気持ちになっていましたが、今は別に恥ずかしいとは思っていません。それよりも、他の人にあわせて思ってもいないことを書いたり、医師になるのにふさわしいと思われるために書くほうが卑怯で、医師を目指すものにあるまじき行為だと気付いたからです。医師を志望したのは自分のためであっても、決して患者のことをないがしろにしているわけではありません。医師になろうと思ってからは患者についていろいろ考えているし、それはとても大切なことです。ただ、医師を目指す理由さえもマニュアル化している今、思ってもいないことをもっともらしく書くよりも、思っていることを堂堂と書ける医師になりたいとおもっています。 




Thursday, May 22, 1997 5:20:52 PM
差出人: Mikio Hayashi
タイトル: 09072

 「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
 これは、仕事を辞めて医学部に行くという、私の手紙に対して、クリスチャンの友人が送ってくれた言葉である。私は、日本人に有りがちな無宗教人間であるから、この言葉の深意は理解できないが、私が医学を学ぼうと思った原因も結果も、この言葉の中にあるような気がする。唯、興ざめだったのは、その手紙の中に、どうして医学部に行くのかと質問があったことだ。何度この質問を受けたことか。一元的に答えられれば楽なのであるが、何が原因で医学に興味を持ったのか、あまりに複合的で偶然で、いつも答えに困ってしまう。
 私は一度大学を卒業している。大学の研究室は、動物生体分子工学というところで、米国の医学部に留学していた助教授の部屋であった。医学部研究生も博士論文ために研究しており、私の卒論も医学に関係していた。また、医学部志望の先輩もおり、愚痴を聞くことも多かった。このような環境が、医学に興味を持つ一要因になった。
 大学卒業後は、某所で働いていた。ある夏の日、飛び降り自殺を目撃した。アスファルトの上に横たわる姿は、あまりに衝撃的であり、仕事どころではなかった。しかし、周りは、またかという感じで無関心だった。それから、数ヵ月のうちに、数人が自殺した。そのときは、私もまたかという気持ちであった。また、部屋が霞むほどの煙草の煙で、頭や目や喉が慢性的に痛み、仕事に興味が持てなかった当時の自分にとり、自殺は他人ごとではないような気がした。生きるとは、人生とは何なのかと考えることが多くなった。そして、一からやり直すという答えに達した。というものの、給料のある身で甘い決心であり、毎日が忙しく、生活は何一つ変わらなかった。本当に真剣に考えたのが、センター試験が終わってからであり、結論は最も興味のもてた医学であった。なぜ興味があったのかは、前の大学の研究、家族の病気、仕事で扱った書類(ダイオキシン等)、新聞記事などいろいろ考えられ、いつの間にか形成された複合的要因に因り、そのどれが、決定的だったのか自分自信でもわからない。これからも、更に医学に興味を深めるため、様々なことに取り組んでいきたい。そして、最後に良かったと思える生き方にしたいと思っている。




Wednesday, May 21, 1997 7:10:43 PM
差出人: Maya Hayashi
タイトル: 09071

 私の進む道を決定づけたのは、高校生の時に学校の先生からお聞きした話でした。それは先生御自身が白血病の患者さんに骨髄を提供された体験談です。
 先生の大学時代の御友人で白血病を病んでいる方がいらしたそうです。病気のために目も不自由でした。それでも誰よりも明るく積極的な方だったようだす。しかし、先生が教師になられてから一年が過ぎる頃その方が亡くなったという知らせが、先生の所に届けられました。骨髄移植をすれば治ったはずでしたが、ついに提供者が見つからなかったのです。
 白血球の型が適合するのは、他人の場合数百から数万人に一人の割合で、なるべく多くの人が骨髄バンクに登録する必要があります。十万人以上がドナー登録したらほとんどの希望者の移植を進めることができるそうですが、現状では七万人弱だといいます。
 その方の死をきっかけに先生はドナー登録されました。先生の御友人と同様に移植の機会を待ち望んでいる人の力になれたら、という気持ちだったそうです。適合者が見つかり先生が実際に骨髄を提供されてしばらく後に、その名前も知らされていない相手から一通の手紙が届きました。そこには、
(二十代半ばで死を覚悟していた私に命のプレゼントをありがと  う)
と書かれていたそうです。
 私は先生のこの話をお聞きしてから、白血病と闘う人達を描いたドラマや本をいくつか見ました。中でも、赤塚祝子さんという血液学が御専門の女医さんのエッセイ集<無病室菌の人々>では、血液疾患の実態を色々知ることができました。その本に、告知の難しさも書かれていました。白血病という病名は死を意識させるものだからです。骨髄移植という治療法も、適合者が見つかった場合にしか有効性を持ちません。医学が発達し、遺伝子治療が推進されているような今日でも、まだ白血病は死という結末を迎えることが多いのです。
 不治の病は戦前よりは少なくなってきているでしょう。結核もかつては不治の病と恐れられていましたが、現代では治療法が確立されています。白血病がそれと同じように死に至ることのない病気になる未来を願って、私は医の道に足を踏み入れました。将来、研究の方に進みたいと考えています。白血病だけでなく、現在不治の病とされている多くの病気に対する治療法が一般化し、その数が減ってゆくのに私は役立ちたいのです。




Friday, May 30, 1997 10:41:30 AM
差出人: Masami Hattori
タイトル: 09070ぼくが医学部を志望した理由

 ぼくが医学部を志望した理由は、スポーツ医学をやりたいとおもったからだ。それまでは、ただ、進学校と言われる学校にいてそこそこの大学に進学してある程度の人生がおくれればいいなあと、ただ漠然と考えていた。
 ぼくがスポーツ医学をやりたい、と思うようになったのは中学校3年の時だった。中学でバスケットボール部に入り、スターティングメンバーに選ばれた。しかし、順調に行っていたのに膝がいたくてバスケットボールをしたくない時期があった。中体連前で、監督は根性論を持ち出し、僕は痛い我慢してプレーをしなければ行けなかった。そのとき近くの整形外科に行っても薬局で湿布を出してもらうだけだった。しかし、一行に痛みは引かなかった。保健の先生に相談したところ、市内に膝専門の有名なお医者さんがいるということなので、ぼくはかなりの期待をかけてそのクリニックに行った。そこのクリニックは僕の期待を裏切りはしなかった。今思えば、インフォームドコンセントを実行していたんだなあと思う。膝をさわりながら曲げたりのばしたりしてレントゲンをとり、病名を告知して理論的に治療法を説明してくれた。一番大きかったのは、実際に痛みが引いたからである。僕が人のからだに興味を持ち始めたのはそのころからである。まず、ぼくは、説明をうけた時に出てきた自分の病名、骨や筋肉の名前などを調べるために保健室においてある整形外科の本を読んで行った。説明時に、病名を言ってくれたおかげで色々なことがわかった。足の痛みが引いたときは感謝しきれないくらいだった。それからスポーツ医学の存在を知った。
また、体の調子が悪いときには、大好きなバスケットボールまでもきらいになってしまう。また、怪我をしても大好きなスポーツを続けたい人がいる。僕は、そんな人達をバックアップできればいいなあ、と思い医学部を志望しました。




Friday, May 16, 1997 3:33:19 PM
差出人: Junpei Hasumi
タイトル: 09069

 私は再受験で現在26歳。一度私立大学を卒業した後、青年海外協力隊員として2年間アフリカのジンバブエで働き、帰国後2年間の受験勉強を経て現在に至っている。
 私は国際協力(主に南北問題)を自分の一生の仕事と捉えているが、そう決心したのは私立大学3年の時で、ソマリアの内戦、飢餓やカンボジアPKOなどに随分刺激された。国際協力に一生を捧げるにしても机上の知識しかなかった私は、とりあえず国際協力の入門編として青年海外協力隊に参加したが、協力隊の後何をするかは未定だった。ジンバブエで小学校の体育教師として働いた2年間、私を最も苦しめたのは現地人教師達の怠慢だ。彼等は教師は教師でも反面教師であり、子供達にも彼等の悪い影響が見られた。その度に私は教育の大切さを痛感し、その回数は2年間で数え切れない程の回数に上るが、そんな環境の中で私が”この世で最も大切なものは教育である”という結論に達したことはしごく当然だろう。今でもその確信は変わらない。そして、ここでいう教育とは読み書きよりもむしろ道徳教育を重視したものであることを強調しておきたい。
 そんな訳で、もうそろそろ協力隊の任期が切れるという頃には、私は次の仕事として国際協力の中の教育部門を考えていたが、ジンバブエからの帰路に立ち寄ったエティオピアの農村で考え方が変わった。一般に、ある国の都市部の人間に比べて農村の人間の方が純朴な印象を与えることが多いと思うが、私の経験では発展途上国において特にそれは顕著で、物質文明色の極めて薄い途上国の農村には所謂スレた人間が少ない。人々は純朴で、人間の原点とも言える自然な生活の中で清く正しく生きている。当然子供たちも素晴しく、笑顔の眩しさにこちらまで幸せになる。が、皮肉なことに、お粗末な医療のためにそういう子供たちが命を落としているのもまた農村なのだ。ここで始めて、私は教育の前に医療が必要な地域があることを実感した。そして、そんな途上国の農村で、教育を充実させるためにその前段階として必要になる医療に一生を捧げたいと思った。
 私は世界平和を目指している。世界平和などというと笑われるかもしれないが(実際に笑われたことがある)、私は真剣だ。世界平和を妨げているのは人間のエゴであるという確信をジンバブエで得た。エゴを持たない人間はいないと思うから、せめてエゴを理性で抑えられる人間を育てる必要がある。その為に必要なのが教育であるという確信もジンバブエで得た。そして、医療がなければ教育もないという現実をエティオピアで知った。私が医師として国際協力の場で働くことは、ずっとずっと先で世界平和につながっているのだ。私はその為にここに来た。




Friday, May 23, 1997 5:06:36 PM
差出人: Satoko Hashiguchi
タイトル: 09068 情報学レポート

 社会人となったとき、出会う人々の層が急激に厚くなった。お年寄りから赤ちゃんまで、様々な人々と接する機会を得た。そして、感じたことは、現代人は肉体的にも精神的にも病んでいる、ということであった。痴呆症のお年寄り、生活習慣病の社会人、うつ病のサラリーマン、摂食障害の高校生、アレルギー疾患の子供たち、など。
 すぐに生死にかかわるものでなくとも、やはり病気とは、本人とその家族にはかりしれない負担をかけるものだ。病気の重みを実感させられる毎日だった。そのうち机上の仕事に飽き足らなくなってきた。自分も、病気と向き合い懸命に生きる人々と、直接接したいと思うようになった。医療の世界の現実は厳しいとは思うが、病める人々の多大な負担がわずかでも軽くなるように、専門的知識と技術を得たい。これが、私が医師を目指すに至った理由である。
 その後、医療に関する様々な書物、ドキュメンタリー等と触れるうちに、その奥の深さにひかれ、医学を学びたいという気持ちが高まった。しかし、二の足を踏ませるものがあった。私の能力に対する疑問である。自分に医師としての役目を果たせるだけの能力があるだろうか。この、飲み込みの遅い自分に。
 そんな私の背中を押してくれたのが、難病を抱えた少年A君との出会いであった。A君は進行性の病気を患い車椅子に乗っていた。ほっそりしていて笑顔の美しいお母さんといつも一緒だった。A君親子は未熟な私にも温かく接してくれた。家にお邪魔することもしばしばあった。A君は、頭脳明晰な子で、幅広い話題を提供してくれた。考古学を志したいという将来の夢も生き生きと語った。楽しいひとときを過ごし家に帰る。その道すがら、ある想いが湧いてくる。「次第に動かなくなっていく体を抱えて、その心の葛藤はどうだったのだろう。一体どうやって、乗り切ってきたのだろう。」重ねて、自分の弱さを省みる。A君は、あきらめが先に立つ私に、自分の可能性を信じること、希望を失わないことをおしえてくれた。担当の先生は、発症のときからA君親子とつきあってきた。「患者さんとそのご家族からは、学ぶことだらけです。」と先生は言った。
 私の好きな言葉に、「人生の長さは年齢では決まらない。思い出の多さで決まる。」というものがある。難病の子どもをもつ父親にきいたものだ。かけがえのない人生を精一杯生きる患者さんから様々なことを学びたい。これから多くの困難が待ち受けていることとは思うが、自分の希望をかなえたいと思う。 




Wednesday, May 21, 1997 10:43:22 AM
差出人: Tatsuya Nishijima
タイトル: 09067

私の父は開業医です。私はその父の長男として生まれました。
小学校に上がった頃ぐらいから私は周りの人々、つまり近所の 人達や学校の先生たちや友達から、「将来はやっぱり医者にな るのか?」とたずねられつづけてきました。小学生の頃の私は そういう環境のせいもあって、「ああ、やっぱり自分は医者に ならなくてはいけないのか?」と思いつづけていました。
もちろん、父もそれを望んでいるんだと思っていました。
それから私はいわゆる中高一貫教育の中学に入学しました。
それまでの勉強しなくてもなんとかなっていた小学校時代とは 違い、勉強しなかった私はあっという間に、その学校の落ちこ ぼれになってしまいました。その時、自分の頭の悪さを痛感し ました。それでも私は中学三年間、ろくに勉強しませんでした。
もちろん、成績は悪いままでした。そんな自分を客観的に見て 私には医学部は無理だと思い、父に相談しました。このとき、 私は父は私が病院をつぐことを望んでいると思っていました。 ところが、父は「おまえが医者になりたくないならべつに病院を つがなくてもいいぞ。」と言ってくれました。この時、私は父を 見直しまた、尊敬しました。高校生になってからも、私は医者に なる気はまったくありませんでした。ところが、高2の夏休みに 家に帰ったとき(私は中学、高校と寮にはいっていた)ふと、父 が老け込んできたのではないかと思い、そのことを母に話して見 ました。母は私以上に父を心配していました。このままでは、過 労で倒れるのではないかと言っていました。この時、私はやっぱり 私が医者になって、父の仕事を減らさなくてはいけないと思いまし た。こう思った私は高2の夏に医者になることを決心しました。
これが私が医者になろうと思った理由です。




Friday, May 16, 1997 1:58:09 PM
差出人: Saki Niiyama
タイトル: 09065

 私は2回医師を目指そうと思いました。最初は小学校の高学年のころでしたが、AIDSのキャリアの人達が医師から治療拒否されているという記事を目にし、非常な憤りを覚えたからです。その当時、私は医師の側からではなく完全に患者の立場から物事を考えていたので、医師は患者を救うために働くものだと考えていました。医師にも自分の健康を守る権利があるということを考え付きもせず。私なら見てあげるよ、と思ったのが初めて医師を自分が目指す職業に据えたきっかけでした。しかし、その後、AIDSに対する理解が少しずつ広まり、様々な治療法が考え出されていくのを見ているうち、これなら私はAIDS患者のための医者になる必要はない、と感じるようになりました。
 ですが、医師という職業をいったん自分の目標としていた私は、ほかにこれといってやりたいこともなかったので、単に医学部に行こうと決めて勉強していました。本当に私は医師になりたいのか。何度も考えて、それでも結論は出ませんでした。私のなかには、医師になるという目標しかなかったのです。理由も何もなく、ただ漠然と医師になろうと思っていただけでした。様々な人や本と出会う度、やはり医師になろうと思うものの、”どうしても”ではありませんでした。
 そんな状態のまま、受験勉強に本腰をいれ始めた頃でした。祖父が肺癌で危篤だという電話がかかってきたのは。前々から肺を悪くしているとは聞いていましたが、癌だとは聞いていませんでした。あとから聞いた話ではその3年前に、あと半年だと言われていたそうです。奇跡的にもった命だと医者から言われたくらいにひどい末期癌でした。私が祖父に会ったのは、亡くなってから半日ほどした、去年の五月の末の昼ごろでした。
 祖父は、手の施しようがなくなったと言われ、病院ではなく自宅で最後の日々を送っていました。痛みを緩和する処置をしていただけでしたが、穏やかな日々だったようです。
お葬式の日にその話を聞き、自分の進路について確信を持てていなかった私は、これだと思いました。高齢化の進むこの社会で、これからはより良く生き、そしてより良く死ぬことが求められるだろう。祖父は家族とともに過ごすという祖父にとって一番いい方法で死に近づけたけれど、他の人は自分で選ぶこともできないことがある。より良い生を、そしてより良い死を、患者とともに見つけていきたい、と。これが2度目に私が医師になろうと思った理由です。祖父の死がなければ、今私はここにいなかったと思います。
 そしておそらく、医師になろうと決心した思いを忘れることはないでしょう。
 祖父を失うことによって得ることのできた、どこか矛盾したこの思いをなくすことは、この先ずっとないでしょう。




Thursday, May 22, 1997 2:50:24 PM
差出人: Masumi Nagahama
タイトル: 09064

 人間の人生というものは縄を紡いでいく作業のようなものだ、という例えを聞いたことがある。自分の前方(過去)には一本の縄(道)があり、自分の後方(未来)には無数の糸(可能性)がある。自分の背中が見れないように、自分の未来も見れないのだと。しかし人間は未来を見ようと渇望し、見れないながらも予測という形で多少であるが知ることができる。そうすることによって自分にあまり好ましくない未来は切り捨て、自分が好ましく思う未来を選択していく。これは人間の性。自分の医学部選択は、こうした行為の結果にすぎないのだ。
 幼いころからあまり自分の将来設計というものには興味がなかった。それでも自然に選択を迫られることになる。それは中学三年生の時。進学するか否か。とりあえず進学することにした。他にやりたいことがなかったからである。三年もすればやりたいことの一つや二つは見つかるであろうと。高校二年の時、理系か文系か選択を迫られた。とりあえず理系にした。理系に進んでおけば、文系にも応用がきくからである。可能性はできるだけ多いほうがよいと、この時は思ったのである。高校三年になった。世間は甘くはなかった。やりたいことは見つからなかったのだ。担任教師にはかなり呆れられた。仕方がないので、いくつかしぼり込むことにした。まず、大学には進むことにした。まだ独り立ちはしたくなかったからである。親にはいい迷惑だろうが、もう少し親のすねを噛らせてもらうことにした。そして、親に対する礼儀として、国公立に進むことにした。しかしこれからがなまじ可能性が多くあるため大変だった。そこで、わがままな自分は二次試験に学科試験のあるところはパスすることにした。そうして二次試験が小論文などのところばかりを選んだ。そのなかからさらに自分の興味のある学部、学科を選出する。法学部、文学部、史学部、農学部、理学部、医学部。そしてセンター試験の結果を見て考えた。後期日程で受ける大学はすぐ決まった。図書館情報大。こちらはA判定。自分はすでにここにいくつもりになっていた。前期日程はどうしようと考えているときに、父親の密かな(本人は隠しているつもり)願いが見えた。「うちの家系に医者がいればなあ」「(大学は)九州内にしてくれたらなあ」(熊本出身)......親孝行な(?)自分はかくして、前期日程に宮崎医科大学を受けることになった。もちろん医学部に興味はあった。しかし受かるつもりはまったくなかった。否、受かるはずがなかった、おばかだから。しかし人生とはわからぬものである。合格通知が届いたときの自分の心の阿鼻叫喚をお聞かせできなくて残念である。「あなたの合格はこちらの間違いでした」通知が来るのを待ちわびながら、あれよあれよとことは進み、今現在に至り、ここに自分がいるのである。
 教訓;人生塞翁が馬、先のことはミクロの世界ほどもわからぬものである。
    予定は未定、予測はあくまでも予測にすぎない。

お詫び;テーマにそぐわないと御思いになられるかもしれませんが、これが自分のなかでの精一杯の理由なのです。長々しい文章で申し訳ありません。




Wednesday, May 21, 1997 0:45:10 PM
差出人: Takahiro Nagai
タイトル: 09063

  僕は、幼少の時分からパイロットになる夢をもっていた。その夢が壊れたのは 中学校2年の夏休みだった。7月にスーパーファミコンを購入した僕は、あまり の喜びに1日中プレイしていた。そして、9月。教室の黒板が見えづらくなって いる自分に気付いた。それから視力は順調に低下し、パイロットになることを断 念した。だが、飛行機に対する関心は失わなかった。今度は、飛行機がなぜ動  き、なぜ飛ぶのかということに興味がむいた。(飛行機整備士になった兄の話を 聞く中で整備士になりたい!と本気で考えたこともあった。)          僕は物がなぜ動くのか、その仕組を知りたいと思うことが度々ある。車、テレ ビ、冷蔵庫、飛行機、etc。それらを僕は、その構造を知ることなしに利用して いた。そのことに疑問を持ち始めたときふと『僕はどうして動して動いているの だろう、生きているのだろう。』と考え『それを知るなら医学部だ!』と決意し た。
  しかし、機械システムについて学ぶことも捨て難く工学部と医学部どちらが自 分の進むべき道かと1年以上悩み続けた。そんな僕を医学部に向かわせたのが、 『人間はなぜ存在しているか?』という疑問を抱き始めた自分だった。今まで誰 一人として全ての人が納得のいくような答えの出せていないこの問題に自分なり の答えが出したい!そして、人のことを知るなら人間が1番密接に関係している 人体について知ることが必要だ!と感じたのだった。
  僕が、「宮崎医科大学に在学しています。」というと、たいていのときは「お 医者さんになるんですか?」と聞かれる。医学部に入れば医者になる。だから、 医者になりたい者が医学部にいる。そう考えるのが普通であろう。だが、僕は医 者になりたくて医学部を目指したのではなく自分のこと、人間のことをもっと知 りたかったのだ。そして僕は、その機会を与えられた。このチャンスを逃すこと のないように6年間という限られた時間でできるだけ多くのことを学んでいきた い。




Friday, May 23, 1997 9:45:54 AM
差出人: Naotaka Nakama
タイトル: 09062


 私が医学部に行きたいと強く願うようになったきっかけは二つあある。
 一つめは、小学2年のころである。その当私は伝記を読むのがとても好きで、
ひまをみつけては様々な人の人生を疑似体験し、自分に未来について空想していた。そのなかでも、シュバイツアーの人生には、特に感動を覚えた。彼の自己犠牲的な献身振りに感動したのはもちろんだが、それいじょうに本のなかでの場面で、患者さんが病気を治してもらったお礼に、現地の人にとっては命の次に大切な家畜をシュバイツアーが固辞するにもかかわらずおいていったというエピソードがあった。そのことから、医者という職業はこれ程までに感謝されることをするのか、と思ったことである。
 二つめは小学5年の冬だった。私は急性盲腸炎で、ある病院に入院したのだが、ちょうどその病院ではベットがあいておらず、研究室のようなところに寝かされていた、そのとき、その部屋で研究をしていたドクターが、私にも顕微鏡を覗かせてくれた。赤や青のがとても美ししいものだった(今思えば染色してあっただけだが)。そしてドクターから、これがガン細胞だ、とおしえられたとき、こんなにもきれいなものが、なぜひとを殺すのか不思議で、心から、その謎を知りたいと思い医師になりたいとゆうきもちがさらにつよくなった。
 以上のとうり、私には臨床につきたいと思う気持ちと、基礎医学につきたいとゆう思いが同程度ずつ存在している。もちろんその決定は、この6年間の自分自信の努力と才能に相談してするのだろうが、その判断材料はより多角的に求めたいと思う。だから、私にとってこの6年間の大学生活は、とにかく遊ぶ時間である。学問はもちろん、友達や大学とゆう疑似社会のなかで遊び、親のすねをかじって遊べる最後の機会を心から楽しみたい。そしてその結果、じぶんの満足できる価値をなにものかに付加したいとおもう。それもこれも、卒後四十年か五十年つずく人生をいつでも余裕をもっていろいろな意味であそんでゆくためである。
 以上、くだらない文章をつらつらと書いてしまったが、わたしが医学部に来た理由はつまり、わたしの納得しうる価値がここにならあるかもしれないと思ったからである。はなはだ具体性を書く考えだが、現時点ではこれいじょうのことを言う必要はないと思うのでこの程度にしておく。しかし、せっかく医学部に入ったからにはがむしゃらに知識を身につけたい。その結果、かならず一生をかけて投企すべき自己が見つかることわたしはしんじている。




Friday, May 23, 1997 0:57:15 PM
差出人: Akihiko Nakahara
タイトル: 09061

 私が医学部を志望したのは、医師は人間社会に存在する多くの矛盾を直視し、その解決を常に考え続ける存在であると思ったからです。
 私は、高校に進学した頃から、多少視野が広がりだし、世の中には浅はかな正義感では解決しきれない、様々な矛盾や問題が存在することが、分かるようになり出しました。世界状勢、政治、経済、教育、環境問題など、実に多くの矛盾をはらんでおり、互いに相関し合っているという複雑な様相を呈しております。これらの諸問題を解決とまではいかなくても、より良い方向に導くためには、広い知識と深い思考力に裏付けされた、大局的な視野が必要となるのでは、と思うようになりました。大局的な視野とは、対立する様々な意見それぞれの、正当な部分を見抜くことのできる視野のことです。互いの意見の正当な部分を、うまくまとめ上げ、より高度な見解を得ることができれば、矛盾は解消して行きます。これは口でいうほど簡単なことではありません。しかし、それを目標に努力していくことが、社会をより良い方向に導くのではないでしょうか。
 医療の現場は、まさに矛盾の連続です。多種多様の人々がおとずれ、多種多様の悩みを抱いております。おのずと対応のしかたも、変わってこざるをえません。脳死、尊厳死、告知、終末医療、遺伝子治療など、様々な倫理感が深く関与する困難な問題が山積みとなっています。これらの問題を解決していくためには、深い専門知識と大局的視野を持つ医師の存在は、非常に大きいと思います。
 これからの社会には、強力なカリスマよりも、深い思考力に裏付けされた大局的な視野を持つ人間が増えることが大切ではないでしょうか。そのような人間へと自分を高めるためには、医療という現場に自分を投じ、努力することが、私にとっての最良の道ではないかと思います。
 以上のような理由で、私は医学部を志望しました。




Wednesday, May 21, 1997 7:23:46 PM
差出人: Keiko Nakano
タイトル: 09059

 私は高校生だったころ、将来何になりたいとか、どの学部に入りたいとかということを考える以前に、大学にはいること、それ自体が目的でした。そして大学で三年間過ごしましたが、そのなかでいろんな体験を通じて考えが変わり、もう一度受験をやり直し医者になりたいと考えました。ですから、これまでの大学生活のなかで考えたこと、そして再受験に至った経緯について書いていきたいと思います。                        私は高校卒業したあと、地元の広島大学に進学しました。最初の二年間は毎日が楽しかったらそれでいいし、苦しいことやいやなことはできる限り避けて過ごしたいというような考えを持っていました。しかし、心のどこかではこのままでいいのかなとか、本当の自分を見失っているのではないだろうかということを、いつも考えていました。そして、このままではいけないと、人生について悩んだのは、大学三年生のときでした。この一年は私の人生のなかで、とても大切な一年間だったと思います。人の死について、また人が生きることの意味について真剣に悩み、答えを探しました。そして、私がこのように考えるきっかけとなった様々な出来事がありました。まず一つめは、友人が不慮の事故でなくなったことです。友人の死はあまりにも突然の出来事で、そしてまた、初めて同年代の死に直面したことも重なり、大変なショックを受けました。それと同時に自分にも必ず死がおとずれるということを初めて認識しました。このとき、私にとって、一番ショックだったことは、ちゃらんぽらんに生きていた私は生きているのに、一生懸命がんばっていた友人のほうが先に死んでしまったことでした。死はすべての人に与えられているものであるけれども、その死が訪れる時期がなぜ違うのか、今でも時々考えるときがあります。次に二つめは、親友から兄弟が自殺したことを打ち明けられたことです。彼女の兄弟は、他人から見ると羨ましいような経歴の持ち主でした。
でも、自ら死ぬことを選びだれにもそれを止めることはできませんでした。最後に三つめは祖父母の兄弟の死です。ちょうど同じ時期に、祖父の兄と祖母の姉が対照的な亡くなりかたをしました。一人は病院で、もう一人は家で看取ったのですが、病院でなくなったおばあさんが痛みに耐え切れず、こんなにまでして長生きしたくないと言った一言を忘れることができません。それとは反対におじいさんのほうは、無理な延命をすることもなく安らかな死を迎えていました。
 現在はものやお金があふれ、価値観も人生観も人それぞれ一様ではないし、何が正しくて、何が間違っているのかということを決めることが難しい社会ではないかと思います。でもそんな世の中だからこそ、人の生死に直接関わっていける職業につきたいと思いました。そして、私なりに一生懸命に生き、また同時にだれかの力になっていくことができたらとてもうれしいことだと思います。だから今、自分の選んだ道に後悔はないし、いつか相手の心の痛みを理解できる医者になりたいと思っています。




Thursday, May 22, 1997 2:44:30 PM
差出人: Tamotsu Nakanishi
タイトル: 09058

私の両親は薬剤師で病院に勤めていた。私は幼いころからよく両親の働く病院に遊びに行ったり、両親が白衣を着て働いている姿を見てきた。その頃はまだ両親がどのような仕事をしているのかや医師と薬剤師の違いも分からなかったけれど、白衣を着て働いている人がとてもかっこよく見え、憧れるようになった。そして、私が中学3年生つまり受験生の時に兄が医学部に入学した。その影響は少なからずあったと思う。とりわけ医師と薬剤師の違いをよく考えるようになった。
 高校に入学してすぐに進路希望調査があって、大学のことなどほとんど知らなかった私は軽い気持ちで地元の大学の医学部と書いて提出した。1年や2年の頃は勉強や部活や友達との付き合いで忙しく、将来のことをゆっくりと考える機会はほとんどなかったが進路希望調査には医学部と書き続けていた。3年になって「これではいけない。きちんと将来のことを考えなくては。」と思い、本当に自分は何になりたいのかを考え直してみた。まず自分の性格から考えた。私は人に必要とされる仕事や、自分にしかできなく、ある程度の責任をもたされている仕事に就きたかった。だから、サラリーマンにはなりたくなくて、専門職に就きたかった。そして、私は人間が好きで、友達が悩んでいるとほっとけない性格で、よく相談にものっていたので人と直接接することができて、その人を幸せにできる仕事がしたかった。理系の学問、特に科学に興味があったし、家族が医療関係者だったので自分もそういう方向に進みたいという希望もあった。
そのような理由で私の進路は二つに絞られた。「医学部」と「薬学部」である。では、どうして「薬学部」をやめたのかというと、両親の働いている姿を見たり、両親の話を聞くと、薬剤師は直接患者と接するのは難しいし、日本ではまだ薬剤師の地位が低くて、医療行為にあまり関与できないらしいので、大きな責任が伴うし、医師になるのは難しいけれど、やりがいのある医師になろうと思ったのである。
 このように私は医師になりたいという強い希望はあったけれど、まだはっきりとした目的意識や理想の医師像はない。でも、私はそれは別に悪いことではないと思う。今はなくても、これから6年間いろいろなことを学び、考える中で見つけていけばよい思う。そのためには大学の講義だけでなく、興味をもって積極的にいろいろなことを体験してゆきたいと思う。 




Thursday, May 22, 1997 3:04:23 PM
差出人: Junichi Nakazawa
タイトル: 09056

 私が医師になりたいと思ったのは、おそらく叔母の影響があったと思います。幼い頃、病気がちだった私は、大阪の下町で開業していた叔母の所に連れていかれました。この経験が私にとって、自分自身の職業として医師を意識させることになったのだと思います。 しかし、医師になりたいと思うだけで医学部に入れるほど甘くないのが、現実で一浪したのち、東京の私立文系の大学に進みました。そこで、はじめの予定では、1.2年ゆっくり考えて、再び医師を目指す気持ちがでてくれば、もう一回受験勉強をしてみるつもりでした。ところが、アメリカンフットボ-ルをはじめたり、様々なことに顔をつっこんでいくうちに、大学入学当初の予定はどこかにいってしまいました。そして、あっというまに2年間がすぎてしまいました。さすがに、将来のことについて考えると医師という選択肢はすてがたいと思う反面、もう遅いだろうという気持ちが強くなってきました。   そして、どうこうしている内に4年生となり、就職活動の時期になりました。恥ずかしい話ながら、このときになってはじめて、本気で将来のことについて考えることになったのです。色々な業種、会社をまわりたくさんの人とはなすにつれ、自分の10年後、20年後が全く、想像できないことに気がついたのです。ここで、きちんと自分の気持ちを整理するという、それまでの自分には、うすきみ悪くてするきにならなかったことをやったのです。その結果、まずお金儲けに自分はむいていないこと。他人を蹴落として生きることは無理であるということ。つまり、自分の努力が他人にとって益するものでないと嫌だということ。これらを満たすものと幼い頃からの叔母のイメ-ジとがあわさって、私は、本気で医師になるべく、受験勉強をはじめました。そして、幸運にも今年、宮崎医科大学に入学することができました。この幸運を無駄にしないように6年間で卒業できるように、まともな医師なれるようがんばりたいです。




Monday, May 26, 1997 2:38:14 PM
差出人: Noriaki Naeshiro
タイトル: 09055苗代 典昭

 私は、幼少の頃からの夢が医者と歌手になることだった。なぜ、私が医者になりたいのかといえば、この夢からくるのであるが、私は既に23であり、迷いもなくここに至ったのではない。
 私はとにかく、高校卒業まで塾や習いごとにいくのがいやだった。自分に対してのプライドが全くなかったわけではないので、そこそこは勉強にスポーツにやってきたが、地元の公立小学、中学などでがんばっていれば満足だった。そしてそのまま、近所の進学校に入学したが、東大、医学部に入る人がいないごく普通の公立高校だった。私はこの中に入って、全く勉強をしなかった。勉強をしないで、クラブ活動をがんばっていればいいが、これも腑抜けだった。バンドも中途半端に。こうして私は、高校を出たが、行ける大学が一つもない事を知った。医学部なんてもとより、私立の名もなき大学のどこもはいれなかった。偏差値は40を切っていた。
 私はここから一年にわたって、予備校に通い立命館に入るのに、周りの友達の誰よりも頑張って入学したが、ここで私は、文系を選んでもう、医学部への道を諦めていた。
 大学に入って私は、人力車のバイトを始める。大学での勉強は、やりたい勉強ではなく、ただ流れに乗って生きてるだけであった。人力車のバイトで体育会系クラブ活動ののりがあった。いろんな人間が集まっていた。フリーターから京大大学院生まで、年は、18から36までおよんだ。そこでは学歴や、年齢、キャリアは一切関係なく、売り上げだけが全てだった。個人成績が黒板に明記され、順位を競わされた。月間10位まで賞金を、1位10万、2位6万などがでた。上位入賞してるとその中では、一目置かれた。しかし、1位2位をとる人は私には狂ってると思われた。手段を選ばない様にも思えた。私は5位までいったが、それ以上にはならなくていいと思った。そして、こんなことはバイトだけで充分だと思い始めた。
 その頃から、将来のことを真剣に考えるようになってきた。自分は何になりたいのかと。
 一方で私はレストランのバイトもしていた。人力車では誇りを持って客と接し、時には客を笑いとばしても面白いと思えるような環境なのに、レストランでは、客に媚びへつらっていた。私はそんな自分が嫌だった。やはり、これからは流れに乗って生きていくのでは駄目だ。自分が生涯働けるものを、自分で選ばなければ駄目なんだと考えられる様になり、私は、一度諦めた昔からの夢の医師になろうと決意できた。本当はもっと昔から何度も考えたが、やらなければならない勉強量を考えただけで断念してきた。しかし、この時になると、そんなことがなんてささいなことなんだと思えるようになっていた。
 それから医師を志して勉強し始めると、この勉強が、後の医師という道につながると思えば、むしろ楽しくできた。
 また、私の友達も力になった。彼等は偉大な人が多かった。神戸の医学部、京大で全国36位、インターハイ入賞3人、バンドプロデビュー、モデル、タレント、アナウンサー、スポーツだけで大学や就職した人も沢山いた。みんな私に近い存在で、大いに励みになった。
 そんな友達に助けられて、今の自分に至っているんだなと感謝しています。




Thursday, May 22, 1997 1:24:21 PM
差出人: Kan Toriguchi
タイトル: 09054

 ぼくが医師という職業を初めて頭に浮かべたのは、おそらく小学生のときだったと思う。そのきっかけは、手塚治虫という漫画家の作品の一つであるブラックジャックをよんだことだ。漫画という一見いいかげんなものに見られがちな分野ではあるが、この作品は主人公の天才的な医療技術をアピールするのみではなく、生命の尊さ、人間愛の深さを訴えるとてもよい作品だったと思う。 
 医者になることをはっきり決めたのは中学生のときのある衝撃的な出来事がきっかけとなった。それはまるで悪夢を見ているようだった。自分の家の近くの川原で、ビニール袋にいれられた赤ん坊の死体が発見された。発見者は自分とその友人だった。肉の腐った臭いが鼻を覆い、うじ虫だらけになっているそのあまりにも無惨すぎる死に様を見て、当時のぼくには耐え切れない衝撃を受け、3日ほど寝込んでしまった。
 それからというもの、僕は人間の生死というものについて深く考えることが多くなった。なぜ人は死ぬのか?なんのために生きているのか?命を救うとはどういうことなのか?ぼろきれのように捨てられる命はいったいなんのためにうまれてきたのか?人間に生きる価値はあるのか?こうしたさまざまな疑問が次々に頭の中を駆け巡っていき、解決の糸口もつかめないまま、悩む日々がつつ”いた。そして、その疑問を解決するには、やはり人の生死を扱う道を選ぶしかないと思い、ちいさいころから意識していた医師という職業につくことにきめた。自分は昔体が弱く、よく医者に通っていたせいもあり、医師になることは1つのあこがれであったのかもしれない。
 医学部に入ってからはじめて医者になるまでのみちのりのつらさを聞かされたので、まだまだとまどいを感じている今日この頃ではあるが、今でも頭の中にこびりついているあの赤ん坊の惨い死体を思い出す度に、どんなことがあろうとも医師になって、疑問を解決するための手がかりを見つけるまで努力をおしまないつもりである。




Wednesday, May 21, 1997 11:31:16 AM
差出人: Katuyoshi Torii
タイトル: 09053

 自分が医学部に入りたいと考え出した時というのは、はっきりした時期は覚えて
いない。そのはっきりしていないのが、当然のように浪人してしまったという結果を招いたのではないかと今となっては思う。
 小学生の頃、まあまあできる部類だったので、中学受験をして地元では名門の学校に合格した。そこは、ボンボンの集まりで、多種多様のボンボンと六年間過ごす。六年間のうちに、その学校の囲いの中でしか通用しない常識を身につけていく。囲いの中は、アナーキーそのものでしかない。校風は自由であったが、完全にそれを超えていた。
そんな環境の中にいたからか、僕の医学への興味は小学生の時と何ら変わりはなかった。この程度の人間が入れる大学など18の時にはもちろんなかった。自分の甘さに気付いた年でもあった。自分の甘さが嫌になったから、親元から離れることに決めた。
親元を離れて初めて自分のことや、周りで起きていることなどについて考えられるようになった。考えることによって自分なりの答えが出たような気がした。
 医者という職業は、心身のどちらでも、健康でなくなった人の健康を取り戻すのを手助けするのだと思う。それでは、健康な人とそうでない人との明確な違いはあるのだろうか。あってない様な違いしかないのではないか。だって今健康な人がいついつまで健康でいられますということは誰も知らないのだから。また逆の場合も考えられるし、何の病気にもなったことのない人などはいないはずである。そう考えたら世間の病める人がぐっと身近に思えた。その間に祖父二人を病気でなくし、祖母は癌の手術を受け、さらに自分の姉も病気を患っていたことなどもその気持ちを高めさせた。
 小さい時から父の影響を少なからず受け、医学に興味をもっていた自分は、医学を学び医師となり、ごくごく身じかにいる病人の手助けをしたいと思い本気で医学部に入りたいと思いました。今の頭の中ではこんな感じです。それでいいのかなんて分からないけど決めた以上はベストをつくすつもりです。                




Wednesday, May 21, 1997 10:30:28 AM
差出人: Maki Toyonaga
タイトル: 09052

私は、父が医師をしているということもあって、医師という職業が見近な存在でした。子供のころから、病院の中をぶらぶらと歩いたりして、看護婦さん達が働く姿を見てきました。父は、内科と精神科をしいぇいたので、うつ病の方や、精神的な悩みを抱えている患者さんがよく来ていました。父は、何時間も、そんな患者さんの話を聞いてあげていました。私が何となく医学部を目指した理由は、父の姿をみて見て、私も父の様に人の力になりたい、と感じたからだと思います。でも、それはまだ漠然としたものでした。高校に入学してからは、自分の将来についてじっくり考えてみる、という時間は全くありませんでした。常に、志望校という形でしか、将来を考えていま
生がおっしゃった様に、医師とは、まず、「優しい人」であるべきだと、私はその時実感しました。それから、宮医科に志望校を決めてから、論文対策のために、沢山の本を読みました。高校時代は、ゆっくり本を読む暇もなかったから、私にとっては、いろいろなことを学べたよい機会でした。一番心に残った本は、柳田国男の「サクリファイス」という、脳死に関する本でした。その本の中で、脳死状態になった息子に、好きだった音楽を聞かせてあげたり、話かけてあげたりする医師がいた、という文章を読みました。安楽死とか、脳死が問題になっている今、一番必要とされる医師は、患者さんの気持ちを分かってあげられる医師であると思いました。最近、インフォームドコンセントする、しないなどと問題になっていますが、治療を受ける患者さんに治療内容をきちんと知らせてあげることは、医師として当然の役目だと思います。患者さんが希望していることであるならば、なおさら医師は患者さんのことを考えて、きちんとインフォームドコンセントを行うべきだと思います。今、医師の態度が様々問題になっている様に思います。私は、絶対に患者さんのことを一番に考えてあげられる医師になろうと思って、医学部を志望しました。この6年の間に、医学的知識はもちろんのこと、医師として、どのように患者さんの気持ちを理解し、病気を治療してあげるべきか、ということを是非学びたいと思っています。




Thursday, May 15, 1997 1:00:19 PM
差出人: Maya Terushita
タイトル: 09051

 私が『医者になりたい。』と思い始めたのは小学生のときでした。私が10歳位のときに姉が医者になり、姉の話を聞いていて、始めは漠然と「先生と呼ばれる仕事をしたい。」と思っていましたが、そのうち自然と「医者」と考えるようになっていました。
 そして、その考えに疑問を持ち始めたのが高校生のときでした。小さい時からほかの道を考えずにただ勉強をしていましたが、高校生になって「私は本当に医者になりたいのか。」「医者になって何をしたいのか。」という自問をしたときに答えを出せない自分に気付き、そのときから私は「自分」について考え始めました。しかし、急に答えが出るわけもなく、自分が何をしたいのかも分からなくて、悩む日々が続きました。
 そして、私がまず興味を持つというか、考え始めたのは「いじめ」についてでした。きっかけは、ドラマでしたが、それまでは「いじめる側が悪い」と一方的に決めていたけど、「いじめる側にも何か心の病や傷があって、それをかばうためにいじめという手段をとっているだけかもしれない。」と思うようになり、それまで「いじめはなくならない。」と思っていましたが、「いじめをなくしたい。」と思うようになりました。
 次に考え始めたのは、自分の子供のころのことでした。私はそのころ、自分の気持ちをあまり外に出さなかったり、喜怒哀楽があまりはっきりしていない性格だったので、それは育ってきた環境と関係があるのだろうかと思うようになり、子供のころを思い出していました。私は小さいころから親に言われるままに、何の疑問も持たずに勉強をしたりしていたので、自分のことや自分の気持ちを考えていなかったのではないかと思いました。そして、最近、そういう子供が増えているのではないかとも思いました。親に言われるままに塾にかよって、頭は良くても自分を見ることを知らず、親のあやつり人形のようになってしまう子が増えるような気がしました。
 そのような子供たちと話をして助けたいと思い、スクールカウンセラーになろうと思ったのが高校3年の始めでした。スクールカウンセラーになれば、いじめをする側、される側の子供たちと話をして、いじめを減らすこともできるかもしれないと思いました。でも、カウンセリングだけではすまないような子供も増えると思ったし、精神科医の方がカウンセラーよりも多くのことができると思い、精神科医になろうと決めました。
 しかし、私はまだ、自分が人間的に小さいです。自分を見ていなかったときよりは、人間的に成長したと思うし、少しは大きくなったと思うけど、まだ自分以外の人の内面を見ることもできていないし、まだまだ医者になるような器ではありません。だから、これからの6年間の私の課題は、いろいろな人と接したりすることで人間的に大きくなることです。頑張ります。




Friday, May 23, 1997 1:26:32 AM
差出人: Masahiro Terata
タイトル: 09050

 僕が医者になろうとした理由は、分からない。医者になろうと決心した時期は、ぼんやりとしていて思い出せない。一番最初に学問の道を志した時にあった純粋な夢は、いつの間にか忘れてしまった。思春期にほとんどの少年が抱いたであろうどろどろとした欲望は、もうどうでもよくなった。
 高3の4月に、僕は答えを出そうとするのをやめた。結果はもう決まっている。違うのは過程だけだ。だから、ある結果に対する原因や理由や、ともすれば過程における充実度でさえ、必要であれば知るだろうし、知らない方が良い場合はそのままでいい。今、僕は医者を目指した理由を消してしまったが、その結果にある程度は満足している。考えてみれば、人生において、覚える能力よりも忘れる力の方が遥かに重要だと思う。世間では、自分を優秀だと思っている人はあまり必要とされてなく、本当に優秀な人は本当はいない方がいいのかもしれない。
 <勉強をしている>とか<努力をしている>という自覚がない状態がここ2年間続いている。身を焦がす程熱い状態や輝いている人々に憧れたりもするが、眺めている方が実は幸せなのだろうか。何かが少しずつ変わりつつあるのを自分の中に感じるが、この奇妙な鼓動を鼓動のままで静かに生きていたいとも思う。
 生きるというのは、強弱老若男女貧富栄枯盛衰美醜幸不幸快不快などなどはあまり関係がなく、生きている以上でも以下でもない。生き残りとは、勝負とは別の次元で動いている。エリ-トとは、有能無能重要でなく、単に選ばれただけだ。建前と本音、表と裏、あるべき理想とあるがままの現実、かぎりなく多面的になっていく自己と他者。世の中は難しい。しかし、面白い。
 具体的には、死なない・やめない位しかいまは思いつかず、それ以上考えるつもりもないが、僕は、無事医者となった僕と僕の目の前にいる患者を守り、共に生きていく力を、何十年かかけて得られることを希望する。そして、最終的に優しい医者になりたい。




Thursday, May 29, 1997 0:57:09 PM
差出人: Toshihide Tanaka
タイトル: 09049 医師志望理由

 今振り返って見ると、何かひとつの強烈な出来事がきっかけとなって、医師を志望するようになった訳ではないと思う。むしろ、最初のきっかけは周りの人からの影響によるものが大きいと思う。
 私は三人兄弟の末っ子で、二人の兄は歯科医をしている。その影響で最初は私も歯科医師になろうと思っていた。しかし、それを知った兄は「兄弟三人歯医者というのはなんだか気味が悪い」「お前の太い指は歯医者には向かない」「歯科医になるより医師を目指したほうがいいんじゃないか?」などと口にしていた。そのために、歯科医になるのを迷うようになっていた。そんな時に、私を小さいときから知り、それまでにも色々とアドバイスをしてくだっさていた方から「医師を志望したらどうか?」と、勧められたのである。今から思うと全く主体性が感じられないが、こうして医師を志望するようになったのである。そして受験を迎えることとのなるのである。
 しかし、現役、一浪と某大学の医学部を受けるのだがすべて不合格。そこで私は医師になることを諦めてしまうのである。これは今からすれば、主体性のある志望理由を何ら持ち合わせていなかった私にとって、その時点での当然の結末であったと思う(もちろん、後ろ髪を引かれる思いは多分にあったのだが…)。
 以下、そんな私が何故今医学部にいるのかを書いていくと、その後兄が病気で入院することになってしまい、またしばらくすると、父も病気を持つ身となってしまうのである。私にとって家族に病人を持つということは生まれて初めてのことであり、とにかくいつも兄や父のことが気掛かりで、心配、心配の毎日であった。それまでは、自分も家族も健康で、健康のありがたみというものに気付かなかったが、この時に初めて思い知らされた。毎日何事もなく生活できていた日々のありがたさや、家族皆が健康であったありがたさを知り、健康というものはその本人だけではなく、その家族にとっても非常に大切なものであり、家族が健康であるということは幸せの根幹を成すものであることを知ったのである。
 このような体験を通じて人の健康にかかわる仕事をする医師という職業の重要性を認識するように至ったのである。そして、もう一度真剣な気持ちで医学部を受験しようと決め、幸いにも今ここ宮崎医科大学で勉強できる身でいるのである。
 私は患者さんの気持ちが分かる医師になりたいと思っている。と、同時に本当にそんなことが出来るのだろうか、とも思い初めている。何故なら、私は家族の病気を通して初めて患者の気持ちを垣間見ることが出来た。これは何冊の本を読んでも得られなかったことだと思っている。人の心は自分がその立場に立ってみないと理解することは出来ないのではないだろうか?経験しないと知ることの出来ないこともあるのではないだろうか?この辺りのことが私の考えていかなくてはならないことだと思っている。 

ps, 前回の宿題は提出期限を過ぎてしまい、出すことができなせんでした。その後、温情で受け付けてもらえたと知り悔しい思いをしました。これからは気をつけるようにします。




Thursday, May 22, 1997 11:42:03 AM
差出人: Gou Takeishi
タイトル: 09048

 私の医学部への動機というのは、あたりまえではあるが、成績が医学部へ入れる様な成績だったからとか、親が医者だから仕方なくというような受動的な考えに基づいていない。ではあるが、さほど成績がよかったわけでもなく、親が医者というわけでもない。理由を強いて言うなら、高校時代の部活動に起因するのかもしれない。
 私は高校時代山岳部に所属していた。山中での技術の一つにT救急Uというのがあり、結構世話好きの私は、三年間その役割を担っていた。T救急Uとは、山中で起こるさまざまな怪我、病気に備え、十分な知識、技術を持ち、実際に事故などが起きた場合、早急に対処するという役割である。実際、山中で傷ついた仲間を、治療し、癒したこともある。私にはその思い出は誇りとなっている。そういう経験をし、私は医者になろうと思い始めたのだろうと思う。現在、私の山中の場合と同じように、無医村などでは医者問題が深刻化している。私は無医村で働きたいと思っている。医者が診ればすぐ治るような病気も、無医村ではそういうわけにはいかない。私にとって、人を癒すことのできる能力を身に付けることは、おそらく、私の生きがいとなるであろうし、無医村で働くことができるということは夢であるからだ。それが私が高校時代に抱いていた思いであった。
 私が大学に入学する前は、そのような理由で医学部を志望した。それは今も私の思いの大半を占め変わっていない。が、つい先日、更なる思いを起こすような出来事があった。これからしばらくは、大学に入学してからの考えを述べていきたい。
 私は、この大学では漕艇部に所属しているのだが、ある大会のため先輩方を宮崎港に送りに行ったときのことである。そこで事故が起こった。私たちが現場に行ってみると、男性がトラックの右前輪に右足を巻き込まれて、右足の膝から下が砕け、なくなっていたのである。私は突然のことに、ただ呆然とし立ち尽くしていた。そんな中、ある先輩が必死に応急処置を行っていたのである。私はその光景を本当に見ていることしかできなかった。そういう自分が恥ずかしく、無力感に襲われた。先輩が妬ましくもあった。そのとき、T早く医者になりたい。苦しんでいる人を、痛みから解放してあげたい。苦しんでいる人の前で、ただたちつくすなんていやだ!U本当にそう思った。
 私が医学部に入学した理由、それから、その後の思いは以上のようなものである。実に単純だと思われるかもしれないが、私にはそれで十分であり、大志である。その大志に負けぬよう、これからも日々努力していきたい。




Friday, May 30, 1997 1:06:04 PM
差出人: Kazuo Takayama
タイトル: 09047 医学部を志した理由

 私が医学部を目指した、医師を目指した理由は、医師であった父の存在が大きく影響している。
 私は4人姉弟の末っ子の長男として生まれた。そのため、幼いころから父のあとを継ぐことが当然であると周囲の人間から見られ、ことあるごとに「将来はお父さんのあとを継ぐんだよね。」などと言われてきた。普段は寡黙で感情を表に出さない父もそれを言葉に出していうほどたいへん期待し、(私は、幼いころ父と会話を交した記憶がほとんどない。)実際、私の生まれた環境には医学関係の物や会話があたりまえのように存在し、私の興味も医学関係にしか向かなくなっていたので、私も医師になることが当然であるように思うようになっていった。
 しかし、中学生になり、自分の将来を具体的に考え出したとき、そうした考えに自分の主体性がないことを気付いた。なぜ父が医師だから自分も医師にならなければならないのか。なぜ周囲の人間は私が医師となることを要求するのか。その無責任な要求は、ストレスとなり私を悩ませた。そして、私はそのすべての原因は父であると考えてしまった。父が医師でなければこんなことに頭を悩ますことはなかったのに、と。今考えれば、そのころから本心として医師になりたかったのだと思う。だが、その理由を問われたとき「父が医師だから」という理由が不純であると思ったのだ。私は父だけに反抗するようになっていった。
 進学校の高校に進み、本格的に進路を決めなくてはならない時期になったころ、父が癌になった。顎癌だった。8時間に及ぶ大手術を受け、手術は成功したが、転移性の高いものだったので、再発することは予想できた。そして、2年後再発。今度は肺癌だった。手術はできないため抗癌剤治療を主に行ったが、癌細胞は全体に広がり、末期状態になっていた。
 父は、この世を去る2週間前まで診療を続けていた。呼吸も苦しく、立つ体力さえない。逐一自分の病状がわかってしまう恐怖のなかで、モルヒネの作用で意識がはっきりしなくなってもなお、病院と患者のことを心配し、「患者が待っている。」と言って家族に腕を支えられながら診察室に向かった。父は、献身的なまでに患者に対する思いやりを持っていたのだ。私は父の最後を通じて、父の本当の姿と、医師としてあるべき姿を見た気がする。
 また、父の看護を通じてホスピスの重要性を認識した。父は、幸いにも望んでいた自宅介護を受けることができた。だが、それは非常にまれなケースで、まだ本人の望まない形で最後を迎えることが多いのだ。末期患者が主体性を持った最後を迎えるようにサポートするシステムの必要性。また、父を看護するとき、家族としての対応に苦しんだ。励ますつもりで言った一言が、父にとってはどんな意味をもたらすかわからなかったからだ。つまり、末期患者を持った家族をサポートするシステムの必要性。これらの必要性を満たすものがホスピスだった。
 今後、私や、私の家族のように癌で苦しむひとたちは増えていくだろう。私の経験を生かし、そうした人たちを助けたい。そのためにも私は、医師になりたい。だから医学部を志望した。そのきっかけは父であることには変わりないが、父が身をもって示してくれた医師としての姿を目指し、ホスピスの実現を目指すことに、私は主体性がなく、理由として不純であるとは思わない。自信をもって、医師になるために努力していきたいと思う。   




Thursday, May 22, 1997 11:31:44 AM
差出人: Tetsu Takahashi
タイトル: 09046

 なぜ医師を志しているのか、と質問される度に私はいつも困ってしまう。なぜならば、私の場合、なにか重大な出来事があって、その影響をうけて医師を目指している、とかそのような理由があるわけではないからだ。
 私が医師になりたいと思い始めたのは私が幼稚園の時からである。その頃から、『将来の夢』と聞かれる度に、何も考えずに『医師』と答えてきた。もちろん、今考えて見ると、何も理由がないかと言われると、そういうわけでもないと思う。わたしにとって医師という職業は、その当時からもっとも身近な職業であったからであろう。だからといって、私は他の誰かから医師になるように言われたことはなく、その頃から既に自分の気持ちが自然とそのように傾いていたのである。そして、今まで医学以上に自分の興味を引くようなものに出会わなかったのも一つの理由である。
 そんなに幼い頃に医学の何がわかるのか、と思われてしまうかもしれないが、今では、理由や動機はどうであれ、私が医師を目指して、今ここにいることは事実であり、また、そんな幼い頃の夢を今でも持ち続けて、その実現への第一歩をここで歩始めていることを私は誇りに思っている。そして、歳をおうに連れて、医学への感心が深まるのと同時に自分の夢の正当性も確信している。そして、今では、私に医学の道への興味を持つ機会を与えてくれた人達へ感謝している。
 しかし、夢という言葉だけでかたずけられるほど、医学は甘くなく、また医師が楽なものではないことは、幼いときからその断片を見る機会があったから、多少は理解しているつもりだ。そしてまた、医学、医師というもののやりがいもすこしは知っているつもりである。今、自分の夢の本当の意味について疑問をもっているけれども、この6年間で、少しはわかっていけるだろうとおもっている。
 少し動機とはずれてしまったが、結局のところ、私の動機は、医師、医学というものが、自分のなかで最も興味を引き、また最も夢に見ていたことである、ということである。




Friday, May 30, 1997 2:59:17 PM
差出人: Manabu Takano
タイトル: 09045 私が医師を目指した理由

 「どうして医者になりたいと思ったの?」
 この手の質問をされると私はいつも困る。それは正直なところ、医師である親や祖父、親戚の影響によるものが大きい為に、この事を聞いた人にひどく安易で自主性のない志望理由であると思われてしまう事が多いからである。
 しかし、私と同じように親が医者だという人には分かる人もいると思うのだが、実際には親が「絶対に医者になれ」と言う事はあまりない。それよりも周囲の人達が勝手に「将来はお医者さんになってお家を継ぐんでしょ。」と決めつける事が多いのである。だから私は幼い頃は、逆にそのような言葉に反抗して医者にだけはなるまい、いや、ならないとなれなかったと思われるから医師免許だけ取って他の仕事をしようなどとおもっていた。
 だがそんな馬鹿な考えも中学、高校と進んでいくうちに薄れていった。
 最初の頃は父の話にも興味をもたず、いつも忙しそうで可哀相に思ったり、イライラした様子を見て、何故こんな仕事を選んだのだろうかと思う程度だったのだが次第に医師としての仕事の辛さと責任の重大さの裏に、自分のした事に対する達成感や満足感があることを知り、本気で医師を目指す事を考え始めた。
 また父がいかに努力と苦労をしてきたかを知った事も大きな影響になっている。大学を出て勤務医として働きながら、家族がいるにもかかわらず一人暮らしをして勉強し麻酔科の指導医の免許をとった事や、開業医として経営者と医師の両立をして自分の人生を患者と家族に完全に捧げた事などである。
 私は父を本当に尊敬している。だから父と同じ医師になり、少しでも父の力になりたいというのが私の医師を目指した理由の本音である。
 理由は単純である。しかし問題は将来医師になったときにいかに多くの人の力になれるかである。私は私の理由を笑ったり馬鹿にしたりする人が納得するような結果を出したいと思う。




Tuesday, May 20, 1997 7:30:32 PM
差出人: Tetsu Sonosaki
タイトル: 09044

 「ソフィーの世界」という本を知っていますか?その本の中で、ソフィーという女の子は不思議な手紙を受け取ります。そしてその瞬間から、これまで自分の目で見える世界がすべてだったのが、目に見えない世界を考えるようになります。自分にも似たような体験があると思った人がたくさんいたようですが、このお話しのなかのT君にも15歳のときに似たような体験がありました。
 そのときまでのT君はやさしくてよい子だとよく言われる子で、自分でもそう思っていたし、そうじゃなきゃ駄目だと考えていました。ユニセフの募金箱にもらったばかりのこずかいを入れたり、校長先生に善行賞をあげたいと言われたりしたことがT君の自慢でした。そんなT君は、中学に入学するまで病院通いが多かったこともあってか、自然と医者になりたいと思うようになっていました。
 15才のある晩、T君はベッドの中でテレビで見た青く光る地球を思い浮かべていました。ここで自分は生きている。たくさん人間がいて、生まれたり、死んだり、戦争したりしている。宇宙から見れば、人が何人死んでも関係ないなとT君は思います。そして、自分がよいことをしても、死んでしまっても、同じようにどうでもいいことなんじャないかと考えた時に、体がばらばらになっていくような気がしました。翌日からT君は、ちょうどソフィーのように、何だか世界が違ったように見えてしまいました。
 それからT君は何となく高校へいき、何となく信州大学の人文学部にいきます。自分の家にいることが息苦しかったT君には、地元から遠くはなれた学校にいけたことで、のびのびした気持ちになりました。大学でT君は、他人から教われることと、そうでないこととを自分なりに区別するようになりました。拘束の少ない大学生活のなかですから、自分は自由だと感じています。それなら、自分のことは自分で決めようと思ったT君は、とりあえず、くすぶりつづけていた医者になりたいという欲求を我慢することはやめて、現実のことにしようと決めました。それから3年後に、幸運な環境に恵まれてT君は医学部に入学しましたとさ。




Friday, May 30, 1997 0:41:42 PM
差出人: Nobuhiro Shibata
タイトル: 09043 医学部に入ったわけ

 僕は小学校の頃は学校の先生に、中学校そして高校1年の初めまでは代議士になりたいと思っていました。といっても、たいして強い動機もなかったのでその目標に向かって努力することもなく、ただただなんとなく「そういうふうなれればいいなあ…。」と毎日ぼんやり考えを巡らしているだけでした。何もなければ、おそらくは法学部にでも進んでいたでしょう。
 こんな僕が医学部を志望した理由は、簡単に言えば“とりあえず、なんとなく”でした。はっきり言って自己満足を得るためには合格するのが難しいところ、いわゆる難関校ならば東大でも京大でもよかったのです。(注:僕はその辺の受験馬鹿とは違います。)ただ、理系科目が好きだったことと、工学や理学なんかには興味がなかったこと、人間に多少の興味があったこと、医師の社会的地位の高さなんかが理由の1つです。ですが“とりあえず、なんとなく医学部”にはもう1つの大きな理由があります。
 高校受験という目の前のハードルをクリアーしてからというもの、僕は目標に飢えていました。というのも、特に自分でやりたいこともなく、なんの目的も持たずに高校に入ったからです。それゆえ、高1の時は勉強なんてものをやった記憶が全くありません。こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、僕は本当に勉強しなかったのです。その証拠となるのが1年次の成績439人中439位という事実でしょう。担当の先生には真面目になってくれと泣かれたりまでしましたが、それでも僕は何もしませんでした。お勉強の意義を全く感じなかったからです。
 ところが、僕はお勉強をする気になってしまいます。ある日のこと、授業中に指名され答えなかったのを答えられなかったものととらえられ、馬鹿にされました。後で、周りの人達にいくら弁解したのですが、誰も聞いてはくれませんでした。僕には前述したように十分すぎる実績があったからです。僕はひどくプライドを傷つけられ、また友人からの蔑みの眼によって感じるようになった劣等感に次第に耐えられなくなっていきました。僕はその劣等感を打ち払うため、自分を馬鹿にした奴らをけちょんけちょんにけなしてやれるくらいの成績をたたいてやろうと思い、お勉強を始めたのです。そして、とりあえず医学部志望を公言したのです。
 以上が医学部志望のきっかけですが、立派な目的を持って医学部に来た人達からお怒りをかわないように今の僕の医者志望の理由を少し付け加えておきます。
 僕は徹底的に自己満足を追及しています。それゆえ僕には自己犠牲の精神などは全くありません。人生は笑者が勝者、自分に与えられた才能はたとえ他人から何と言われても自己満足の追及以外に使おうなんて思いません。僕が他人の為に何かをしてあげる時は、そのことで自分が満足感を得られるときだけです。今の僕は医師という職業の社会的地位の高さと、患者さんの回復を手伝うことで得られるであろう満足感を手に入れるために医師を目指しています。自分のために医師になります。でも、阿部英みたいにはなりたくないなあ。




Thursday, May 22, 1997 0:24:55 PM
差出人: Sumiharu Sakamoto
タイトル: 09040

 私は、高校時代は理系でした。高校に入学したての頃は、どこの大学に行きたいとか、どの学部に行こうとかいうのは別にありませんでした。けれど、母が看護婦であることもあり、私は小さい頃から生の医療現場を見ることができたので、医療保険分野に多少は興味を持っていました。それで、一度は医学部を目指したのですが、入るのもなかなか大変で、入ってからも勉強などが厳しいというのを先生や先輩から聞いて、あきらめていました。
 そんな風に私は「キツイ」「ダルイ」というのを、できるだけ避けようとしていました。それで、一般的に遊べるといわれる、文系の方へ行こうとしていました。高校3年になった時には、ますますその気持ちが強くなり、大学に行ってまで勉強で苦しみたくなりました。
 ある時、私は1カ月くらい真剣に進路のことを考えました。もっと早いうちから考えておくべきだったのですが、、、。もちろん、そのときは文系について考えていました。それで、もし文系の大学に入れば、たぶん遊びまくりの大学生活がまっています。4年間は本当に楽しいでしょう。そして、ある程度いい大学に入っておけば、ある程度いい企業に入れる。そして結婚して、、、ってこれじゃ普通のサラリーマンじゃないか、組織の歯車の1つとなって定年まで何となくはたらき通す。自分の人生という長い目で見たとき、これはなんとつまらない人生だと思ったのです。それで、もう1度原点に立ち戻って、自分は本当に何がしたいのか、ということを考えました。そこで、1度はあきらめた医師という道を、もう1度考え直してみたのです。
 私は何か社会の役に立ちたいと考えていました。サラリーマンとしてはたらいて、企業活動を通して社会に還元するというのもありますが、それでは役に立っているのがわかりにくいし、結局は自分の為だけにはたらいてしまうと思います。医者ならば、患者と会話、治療することによって、直接的に人の役に立っていると感じることができます。また、自分の目的を持って、ある程度自分の思い通りに生きていける、というのもあります。
 大ざっぱすぎてわかりにくい面があったと思われますが、私が医学部を目指したのは、以上のようなのような成り行きからでありました。




Thursday, May 22, 1997 11:48:33 AM
差出人: Naka Goto
タイトル: 09039

   医学を志した理由
            09039  後藤奈加
 私が医学部を志したのには2つの理由がある。まず1つに、自分が病気によって留年したことがあげられる。中学校に入学した年から突然、過呼吸症候群の発作に悩まされはじめた。当時は、一般的な発作、つまり呼吸数の増加や痙攣、失神程度だったため、本人も含め誰も特別な心配はしていなかった。思春期を過ぎれば自然に治っていくものとされており、特にこれといった処置もせずにいた。しかし今思うと、この病気の原因が抽象的なものであることにかなりのコンプレックスを感じていたことも否めない。きちんとした対処がおくれたためか、高校1年の夏休みに急激に悪化、休学せざるをえない状況となった。そのときの主な症状は、記憶障害、下半身麻痺、失語症などであった。専門の心療内科医と行きつけの開業医、そして何より家族の献身的協力により、今に至るわけである。
 私の病気は精神的なものが原因であった。だからこそ特にこう感じたのかもしれないが、医療といういわゆる技術の先端において、むしろ大切なのは『抽象的なもの』なのではないだろうか。私の様な病気でなくとも、体を病んでいるときは、メンタルな部分への十分なケアを必要としていると思う。私が初診で完治に5年かかると言われた過呼吸を1年足らずで克服できたのも、メンテルケアの重要性を裏付けている様に思う。故に私は医療という現場において、このようなケアに携わりたいと思い、医学部に入学してきた。
 2つ目の理由は前者と多少重複するが、様々な環境が人間に及ぼす影響を医師という立場からみてみたいということである。我々は知恵の1つとして、自然や動植物が病気の回復に好影響を与えることを知っている。何が良く作用するかは人それぞれ違っているはずであるが、本人がその対象をみつけるためのサポートを「医師」という専門的立場から行いたいと考えている。
 これらの理由により医師を志した。目標はメンタル的なものであるが、それは当然『知識』や『技術』といった基盤なしには成立しないものだとも思っている。今からの学生生活において、能力的にも体力的にも向上してゆこうと考えている。




Thursday, May 22, 1997 0:05:19 PM
差出人: Kenji Goto
タイトル: 09038

 私が医学部を意識しはじめたのは中学生のときだった。弟が検尿でひっかかり、再検査にもひっかかり続けて、大学病院で検査を受けているときだった。検査の結果、弟はIGAG症候群という病気であることが発覚した。その病気は成長期のこどもが、かかる病気で顔がむくんで体がだるくなる病気だ。原因も、治療法もまださだかでないのだ。そして、弟は久留米大学付属病院の小児科に入院した。
 初めて弟の見舞に行ったとき、私は驚いた。弟の部屋は8人部屋でみんな弟より小さい子供たちが入院していた。そしてみんな頭の毛がないか、抜けかけているのだ。おまけに点滴をぶらぶらさげて、機械をつけているのだ。私は周りを直視できず、うつむき加減で弟の部屋にはいらざるをえなかった。
 今から思うとこのとき、自分のとった行動は人間としてはずかしい行動だと感じられて後悔している。この後悔が医学部に入学した。理由の一つである。
 私は高校1年生のとき、気胸で入院した。はじめ私はただの風邪だたおもっていたので、1週間ぐらいほおっておいた。しかしまったく治る気配がないので、病院に行くと、左肺の音がまったく聞こえないといわれた。レントゲンにも肺がほとんど写っていなかった。わたしは病院の先生に怒られ、すぐに入院だった。病院ですぐに局部麻酔で左肺に穴を開け、空気を出す機械を入れた。1週間後に、手術が行われた。手術の様子はビデオで撮影されていて後で見ることが出来た。手術は全身麻酔だったので何も覚えてないが、一番きつかったのは紙おむつをはめられていた事だ。もう二度と入院しないぞとおもいながら退院したのに四か月後に、こんどは右肺が気胸になり入院するとは夢にも思わなかった。
 これらの体験が直接医学を志す原因になったのだが、その他、いろいろな事が少なからず影響して、医学部に入ったはずだ。自分が医者になるうえで、これらの経験は、必ず役にたつことがあるはずだ。患者の気持ちがわかるいしゃになりたい。




Thursday, May 29, 1997 7:19:47 PM
差出人: Kyouhei Kondo
タイトル: 09037

 僕は高校に入ってからどういう大学にいこうかあまり考えたことがなかった。ただ漠然と高校生活を送っていた。
 一年の終わりの頃、文理選択があった。国語が嫌いだから理系にした。そして、月日は流れ、自分にも彼女ができた。しかし、突然彼女のお父さんが癌で倒れた。それはすでに末期癌であった。彼女のお父さんは手術をすることを嫌った。彼女は学校に行かなくなった。自分のお父さんが確実に死を迎えることについて悩んだ。会話も前より暗い話しばっかりになってきた。僕は必死に慰めたり、デートに誘ったりした。彼女はいくらか元気を取り戻したが、前のように明るく元気な彼女を取り戻すことはできなかった。僕は自分の家族といろいろなことについて話すようになった。そんな時、ホスピスという存在を知った。彼女のお父さんもそのホスピスにはいることを強く望んだ。運がよくちょうどベッドが空いていたので入ることができた。ホスピスという所は時間がゆっくりながれているそうだ。患者さんの話や動作のスピードにあわせてくれる。そして食べ物も自分の好みの物を食べることができる。なんとお酒も自由に飲めるそうだ。患者さんの人生の一場面として患者さんの人格と人権を大切にしているという。僕の彼女はお父さんが生き生き生活しているのを見て昔の彼女に戻った。さらに前よりも何事にも積極的に取り組むようになった。そして高三の梅雨の時期に彼女のお父さんはこの世を去った。最後の最後まで自分らしく生きたことにお父さんは満足したという。それから僕と彼女は進路のことについて考え始めた。彼女は小学校の先生になろうと前々から言っていたが、お父さんの件をきっかけに医療現場に興味をもち、看護婦になることを決意した。僕は何となくだが工学部の建築科にいこうとしていたが、ホスピスという存在を知ってから医学部に興味をもった。そしてあれは忘れもしない高三七月七日そう七夕のときのことだった。二人で花火大会を見にいった時のことだ。彼女は何とか希望の所に行けそうだった。しかし、僕は医学部なんかにいくつもりはなかったから、当然学力は足りなかった。僕は半ばあきらめかけていた。花火大会が終わって二人で家に帰っている途中彼女が公園に寄ろうといった。そして、しばらく彼女と話していると、「近藤君は本当に医学部に行きたいの?ただ私の父の件で私に同情したんじゃないの。自分の人生で今は大事なときなんだから本当に自分のしたいこと見つけないと後悔すると思うよ。もう一度考えてみたら。」と言われた。そのときはただ「ああ」としか言わなかった。しかし、家に帰って自分なりに考えてみた。
 もし仮にホスピスを知らなくて自分が医学部に入ろうとしたら何を考えるのか。医師はさまざまな人々に出会いそして別れていく。その中で会話をとうしていろいろな考え方に触れていく。人間性がないとできない仕事であると思う。企業に入れば人間性は無視され、絶えず数字と向き合っていかなければならないかもしれない。私は立派な人間にはなろうとは思わないが、ユーモアのある温かい人間になりたい。
 医師になればきっと自分では自分の理想とする人間に自分が近づけるような気がした。どこかで「医師は人を救うなんてエラソーなことは言ってはいけない。医師は少しでも人を手伝ってあげることを目標にしろ。」と聞いた。 
 まあ少々くさくなりましたが、いろいろなことを考えた。
                 ・1996年7月7日の夜・




Tuesday, May 27, 1997 5:46:21 PM
差出人: Masanari Komatsu
タイトル: 09036 医師になる理由

 いざ書こうとしても直には思い浮かばない。それほど僕が医師になる理由は自然だった。            幼い頃から、そして今でも僕は病気持ちだ。物心付いた時から一緒で、自分の生活はそれなしでは崩れてしまうぐらい体の一部になっている。おそらく、今完治したとしても全く実感は沸いて来ないだろう。           病気と共に歩んで来た中で、実に多くを体験し学んだ。体の表面に出てくる症状のため、小学校、中学校に渡っていじめを学んだ。学んだと書いたのは、確かに当時は辛く、死を考えたこともあったが、今それを乗り切って、振り返ってみて思うに、「苦しい逆境に置かれた時、人はいかにして自分を立て直すか。」「どんなに辛くても、進むしか道はない。そこに永い間立ち止まっても必ず前へ進む時が来る。」等といったことが、ごく自然に、人に教えられるでもなく身に付いたからだ。                                       また、生きがいの大切さも痛感した。人は、身動きができなくなると、何かに頼ったり、すがったりする。時にそれが宗教だったとしても、誰も口をはさむ権利はないと思う。それが支えになり、打ち込んでいる瞬間苦しさから解放されるのなら、選んだ価値は充分にある。人はそんなに強くはないのだから。                 僕は趣味の将棋を生きがいにした。これがあったから自分の存在価値もあった。病気という困難な状況をうまく利用して、全国大会に七度も出場できるまでになった。病と闘い続けた中培った精神力、忍耐力、集中力も、病気から授かった財産だろう。他にも、集中できる短い時間を有効に生かす要領の良さ、何事もできるだけ前向きに考える等学んだことは数知れない。                                         ところで、決まり文句のようだが、人の役に立ちたいというのも志した理由の一つだ。僕は三年前に父を亡くした。父は別の病気だったのだが、自分のことは顧みずーその理由は僕にあったのかー朝早くから働き続けた結果の突然死だった。初めて病気の先に死があると実感した瞬間だった。父にできなかったことを他の人達にと強く思う様になった。                                                  今までの経験を生かしたい、また自分の病気をもっと深く知りたいと思ったとき、自然と医師という目標が浮かび上がった。様々な治療法を試みてもなかなか好転せず、医者不振に陥っていたことも少しは関係あるのかもしれない。完治する病の方が少ない今日、自分の経験が少しでも生きればと願う。おそらく、父も僕が医師になりたいということを、うすうす感じていただろう。                                    思いつくまま書き並べてみたが、これらが僕が医師を志した理由である。                                                    




Wednesday, May 21, 1997 0:03:20 PM
差出人: Takeshi Kojima
タイトル: 09035

 私は小学校、中学校、高校、と8年間サッカーをやってきた。そのサッカーを通じていろんなことを学んだ。みんなで一つのことに向かって一生懸命やることの素晴しさ、苦しい練習の中でもうひとがんばりすることの大切さなど、これからの人生の中でも役に立つであろう経験をした。そのような経験を積んで、サッカーの素晴しさ、そして何よりもスポーツの素晴しさに気がついたのだ。スポーツ、そして体を動かすことの素晴しさを一人でも多くの人に伝えたい、そのような気持ちから、「何かスポーツに関わる仕事がしたい」と思ったのだ。そのスポーツに関わる仕事の中で最も人の役に立ち、かつ体を動かすことの大切さを最も多くの人に伝えることができる仕事は、「スポーツドクター」ではないかと私は考えた。スポーツドクターになって、スポーツ外傷やスポーツ障害をもつ患者を一人でも多く治療して、またスポーツができるからだにしてあげたいのだ。
 そのためには何としても医学部に入り、まず医学を学ばなければならないと思った。私がなぜ医学を志したか?という理由はこのくらいで、いたって単純明快なものである。
これで終ってしまいそうなので、「宮崎医科大学での私の抱負」でも書こうと思う。まず第一に前述したように、私はスポーツドクターになりたいから医学部に入学した。スポーツドクターになりたい者がスポーツをしていなかったらシャレにならないのでサッカーはつつけるつもりだ。その点で、宮崎医科大学は、サークルも積極的に奨励されているし、自然もたくさんあるので私にとっては宮崎医科大学に入学してよかったと思う。また、一年時の講義から「体育医学」があって、まさに私の進むべく道だなあと日々の講義で実感している。そして、何といっても「医療情報学」なるものはスポーツドクターになるためには、必要不可欠なものではないかと感じている。これからスポーツにコンピューターに骨学に、がんばっていこうと思う。(810字)




Monday, June 2, 1997 10:50:20 AM
差出人: Shingo Kumadaki
タイトル: 09032 私の志望動機

〜概略〜
 私は中学生の頃は物理学者になろうと思っていた。アインシュタインを崇拝し、「ニュートン」を愛読していた。親に医者になるよう勧められても全くその気はなかった。そんな私が医者になろうと思ったのは武道との出会い、そして高校1年生のときのイギリスでの体験からだ。
 私は幼い頃から武家の長男として育てられ、中学校に合格してからは何か武道をやろうと思っていた。幸いな事に、私の通っていた巣鴨学園は武道の盛んな学校であり、剣道が正課の体育の授業として行われていたので、それをきっかけに武道にはまり込むこととなり、剣道(弐段)、柔道(初段)、合気道(初段)を中高6年間で身につけた。(なぜ武道と医療が関係あるのかは、武道論の域になるので後に回すことにする。)
 私は人間はいつからでも変われると思っている。武道を鍛練し、体を鍛えた事は私の性格すら変えた。小学生の頃はどちらかというと内向的で、体も小さく、人と接する職業は向かないと思っていたのだが、この信念の下に、中学生になってからは進んで人と接する様になり、親の勧める医者という職業も視野に入ってきた。
 そして高校1年の夏休みに、私はイギリス一の名門校である、イートン・カレッジ主催の修学コースに一ヵ月間参加した。100万円もかかった割には語学研修としての意義はあまりなかったが、さすがにイートン校だけあって研修の主眼はリーダーシップの育成であり、大変良い経験だった。特に、現地の人との意見交換を通して(特に庶民の間に根付いている)キリスト教や、noblesse obligeの精神に触れ、人に奉仕する職につきたいと思った事は私の医学部志望の直接的な理由となった。
 これらの事に、以下の武道論的解釈が加わって私は明確に医者という職業を志望するようになったのである。

〜武道と医療〜

 さて、なぜ武道と医療が関係あるのかをここで述べよう。
(1) 武道と医術
 前に述べたように、私は中学に入ってからは武道にはまり込み、やがて自分は武士道に生きるのだという人生の目標を見つけた。そして、その武士道の解釈を広げるために、武道の研究を通して様々な書物を読んだ。そこで出会った武士道の解釈の一つが「何時如何なる時でも生き残る事」である。そのためにはあらゆることができなくてはならず、よく父親の言っていた「男は何でもできなくてはいけない」の言葉の下に、武道に限らずあらゆることを学んだ。
 無論、ただ「あらゆること」というのではあまりに範囲が広すぎる。そこで私は近代武道としての観点から、軍隊の特殊部隊の訓練に関心をもった。その結果、各国の特殊部隊では四つの特殊技能(医療、諜報、通信、武器・破壊)を中心に訓練していることが分かった。したがって、私もその四技能については必須のものとして中心的に勉強し、医学、語学、パソコン、インターネット、無線、武器その他の研究、と自分のできる範囲で学んだ。その内、語学に関しては英検準一級、無線に関しては第二級アマチュア無線技師の試験に合格した。医学に関しても、「登山の医学」という、野外で必要とされるほとんどの医療について網羅した良書に出会い、かなりの基礎知識が身についた。
 つまり、医療を学ぶ必要があったこと、その基礎知識を身につけたこと、は医学部を志望する大きな背景となった。
(2)武道と医学
 最近の武道ではよく文武両道と言われる。しかし、実際には武道の上達に学問はあまり関係なく、武道のできる奴ほど頭が悪い事は良くある。それは、たいていの武道においてその心が蔑ろにされているのみならず、多くの武道では歴史的背景からしてそれ自身には文武両道の概念がないからなのだ。ではなぜ、私は文武両道を主張するのか。その理由の一つは私が合気道を学んだからだ。
 私は中高6年間、色々な武道を研究し、その中心は合気道であった。この武道は他の武道とは違い、元来殿中で行われた上級武士の為の護身術であり、大変文武両道の概念を強く含んだものである。つまり、武術を小の兵法とするなら、大の兵法は兵をどう動かすかという事であり、大の兵法を含む合気道はその性質上「文」も必要としていたのだ。
 それだけではない。これは武士道の広義の解釈の域になるので後に回すが、現代を生きるためには学問は重要なものであり、そういう意味では学問も武道の一環と考えることもできる。
(3)武道と医道
 武道はその性質上どうしても人を傷つけてしまうものである。その性質の少ない合気道と云えどもその危険性はある。そんな武道と、医療(医道)は相容れないものであると考えるのはごく自然な事であり、むしろそう考えずに武道を鍛練する事の方が危険だとも言える。
 しかし、それでは私が医道の倫理に反しているかというと、そうではない。前に述べたように、武道の解釈の一つは「何時如何なる時でも生き残る事」なのだが、これは全生物に共通の、個体維持の原則に他ならない。つまり、広義の武士道とは生物共通の法則にしたがって生きる事、生命の連綿たる流れを維持する事、と考える事ができる。
 生物共通の法則とは何であろうか。それはDNA の保存に他ならない。生命体の全ての行動 はより自分に近いDNAを保存するために行われていると言われる。元を正せばどの生命体も同じDNA を起源に持ち、それを保存するために様々な生命活動を行っているのだ。いささかややこしい話になってしまったが、結局は武士道の精神の行き着く所は「和」であり、昨今西欧世界でもよくいわれる、世界平和、環境保全、互恵的行動といった概念をも含んでいるのだ。そういった観点からすると、武士道も医道も結局はその根本的精神は同じであると言えよう。

〜終わりに〜
 以上が私が医師を志す理由である。いささか冗長になってしまったかもしれないが、私の志望動機を述べるには必要最低限のものであったし、全てを言い尽くすには未だ足りないくらいだ。上記の文章を読んで、私が医師を志す理由を少しでも理解していただければ幸いである。




Monday, May 26, 1997 6:29:29 PM
差出人: Yukiko Kinoshita
タイトル: 09031

 私は幼いころからかっこいいもの好きで、将来の職業としては、医師、警察官、弁護士、裁判官を考えていた。理科が大好きで、中学生の頃は医学部に入ろうと思っていた。
 ところが、早くも中3の幾何の証明につまづいて、理系の頭ではないのだと悟り、高校に入学する頃には進路を文系にしぼっていた。
 現代社会、政治経済という科目が好きだったし、祖父や両親の法律書を分かりもしないくせにぱらぱらめくって親しみをもっていたので自然と法学部を選んだ。
 大学で法律を学ぶうちに、戸籍法や民法の改正に関して国会に圧力を加えたいと思うようになり、そのためにはまず弁護士の資格をとって発言力を増そうと考えた。そして、4年生から司法試験を受け始めた。
 卒業してすぐに、大学の先輩と結婚し、その後も毎年受験を続けた。が、なかなか受からない。5回目で不合格だったときに、とうとう挫折した。大好きなピアノや読書を我慢しての受験生活に疲れ切ってしまったし、夫が6回目で合格していたので6回目の受験に臆病になったのである。
 法律の勉強がそれほど面白くなくなってきたのも事実である。法律学とは、人間のつくった法律の解釈と適用を学ぶわけであるが、しだいに、人間の意志の及ばない、神が秩序を与えたと思えるものを対象とする、自然科学の分野にひかれていったのである。
 また、夫は検察官としてときどき司法解剖に立ち合うのであるが(刑事訴訟法第229条)、医学にちょっと興味のある彼は、解剖から帰るたびに、かいつまんで様子を語ってくれた。それが私の解剖学への興味をかきたてたのである。そして、私の好奇心は、「人体の不思議展」で見事な標本を見ただけでは収まらなかった。
 結局、私の医学部志望動機は、人体への興味である。神が私たち人間の体をどのように造りたもうたのか。標本を眺めたり解剖学講義を読んでいると、神を身近に感じて幸せな気分でいられるのである。

  推薦図書:『事件の語る生と死』 松木 麗 著  講談社  1600円?位
                    1997年3月15日初刊




Monday, May 26, 1997 0:04:11 PM
差出人: Naoko Kawamura
タイトル: 09030

 私は、幼い頃から”人間は、生命は、どこから生まれてくるのだろう”とか”どうして 生きているものは皆、いつかは死んでしまうのだろう”というようなことをよく考えてい< ました。なぜか、生命というものに、とても興味のある子供だったのです。
 そんな私が医師を志すようになったのは、中学生のときでした。ある学校の行事を通し て、私は実際に、出産の様子を真近で見る機会を得ました。赤ん坊が生まれてきた時の感 動は、とても言葉では言い尽くせないほどで、私はただただ”生命ってすごいなあ”と思 いました。また、出産後の母親の表情は、私が今まで見た中でいちばん美しくて、穏やか な表情でした。これをきっかけに、生命の誕生の神秘性に一層深く興味を持つようになっ た私は、一生こういった場面や生命と関わった仕事をしていきたいと考え、医師になろう と思ったのです。
 中学生の時にそう思い立って、今までにさまざまな心の変化がありました。医師になろ うという気持ちが揺らいだことはなかったけれども、友達や、周囲の身近な人の死を通し て、医師になるということは、”死”をうけとめていかなければならないことに気がつき ました。しかし、”死”を考えることは、生きることについて考えるということなのだと も分かりました。また、いろいろな本との出会いによって、もう絶対産婦人科の医師にな ると決めこんでいた私にも、ターミナルケアや青年海外協力隊といったものにも興味がわ いてきて、視野も広がってきました。
 この宮崎医科大学に入学するまで、医師という職業の責任の重さについて考えてきたつ もりですが、これから、おそらく6年の間に、より深く考え、医学生としての自覚を持っ て生活していかなければならないと思います。そして、さまざまな選択肢の中から、本当 にやりたいことを見つけ出せたらいいなと思います。何年たっても、初心を忘れず、患者 さんとのコミュニケーションを大切にした良医になりたいと思います。




Thursday, May 22, 1997 0:33:24 PM
差出人: Akiteru Kawahara
タイトル: 09029

 09029 川原亮輝です。「医師」をめざした理由をズバリ言うならば、「医師を信じることができない」ということです。なぜそうなったのかについて、これから述べたいと思います。思えばあれは4年前のことでした。中学校3年の時、学校の尿検査で軽い血尿という結果が出ました。そこで、学校指定の泌尿器科で再度検査を受けました。結局、血尿が出たのは右腎が少し低い所に位置しているために、腎臓が圧迫されていたためでした。年月がたてば固定されて、血尿は大丈夫だろうということで解決しました。しかし、念のために血液を検査したところ、ある成分に異常値があったのです。なぜ私の血液が異常値を示すのか、その泌尿器科ではわかりませんでした。そこで、九州記念病院で検査をしてもらうことになりました。ところが、そこでもわかりませんでした。次に地域医療センターで診てもらうことになりましたが、そこでもやはり駄目でした。最後に、熊本大学付属病院へ行きました。しかし、そこでもわかりませんでした。
そのために、私の好きなスポーツは何カ月もの間ストップさせられました。そのことは、私にとって大変ショックでした。その頃の私にとって、部活(ハンドボール)は生き甲斐だったからです。定期的に通院をしました。そしてある日、医師に言われ、身内に何か病気を持った人がいないかを聞かれ調べたところ、母方の遺伝的なものによることがわかったのです。母は、日常生活を送るうえで何の支障もなく、私も結局、運動をしてもよかったのです。つまり、その数カ月もの間、スポーツをしてもよかったのです。この間私は、「このまま一生、運動できないのか」という不安にかられ、スポーツで発散していたストレスはたまる一方で、精神的にかなり滅入りました。「少しでも早く適切な判断、診断、ができなかったのだろうか。」と何度も思いました。そして、私は「医師」に対して不安を感じたのです。そこで私は、自分で医学を知り、私の様な不安にかられた患者が少しでも減るよう努めたいと思ったのです。




Monday, June 2, 1997 1:23:00 PM
差出人: Yuuki Kawano
タイトル: 09028志望動機

私にとって、はじめて医師という職業を身近 に感じたのは、小学校五年生のころでした。
そのころ私の家族は、引っ越しや、両親の農 業からの転職などをのりこえて、やっとおち ついてきたころでした。生活が急に変化した ため、しばらくは苦労しましたけど、そのこ ろにはもうあたりまえの生活に思えるように なっていました。そんなころに、突然もう一 度、大きな事件がおこりました。私の父親は 一度目の転職先をやめて、二度目の転職先と して、ミキサー車の運転手をするようになっ ていました。仕事を終えて、自分に配車され ているミキサー車を洗っていたそうです。そ したらまず服のはしから、ミキサー車の回転 している部分に手をまきこまれてしまったの です。あわてて力いっぱい手をひきぬいたそ うだけど、中指と薬指の間から手首にかけて 、皮一枚でつながっているような状態になっ たそうです。しらせをうけて、病院に行った けど、父はすでに手術をうけているところで した。それから、十二時間の長時間にわたる 手術は、成功におわりました。切断するしか ないのじゃないか、と思われた父の左手は、 今では元どおり、とまではいけませんが、八 分くらいは動かすことができ、日常生活には それほどさしつかえのない所まで回復しまし た。それ以後は、私のなかに、医師に対する 尊敬の気持ちが芽生えてきました。また、父 のほうにもどうやら、私が将来医師になって くれたら、という意志が決まったように思わ ます。私の家は、それほど勉強にはうるさく ないほうでした。しかしできれば医師にはな ってほしそうでした。けれども医師になる、 というのはなまはんかな気持ちではやってい けないということを、その後いろんな情報を しるにつれて、わかってきました。本音の話 高校のあるころまでは、医師以外の道を選ぼ うとおもっていました。けれども祖父の死や 、母が更年期でくるしそうなのを見て、いろ いろ考えました。そして結局、宮医大をうけ ました。自分の選択を後悔しないような生活 を送ろうと思っています。




Saturday, May 31, 1997 8:18:10 PM
差出人: Katuharu Kameta
タイトル: 09025医学を志た訳



 僕は、小2の時初めて死に出会った。それは祖父の死だった。祖父とは物心ついたときからずっと一緒だった。彼が病気で入院したときも毎週隣町まで3つ違いの姉と二人で見舞に行ったりと、僕にとってとても身近な存在だった。78才という長寿をまっとうし家族に見守られた中での死であったが、わずか8才の少年には祖父の死が納得がいかなかった。人の生が普遍的なものでなく、死が誰にでも、自分にすらおとずれるものだと知ったき、恐ろしくて眠れなかった。
 夏のある日のことだった。家の前の道路で狸が死んでいて、父に死骸を埋めるように頼まれた。その狸はさっきまで食べていたのだろう。胃はぱんぱんになって心臓や肺とともにとびでていた。何度となく襲ってくる吐き気を我慢しながら、血で道路にべったりとへばりついたからだをとり、埋めてやった。自分の体もこんな肉の塊でできて得いるのかと、思うと生きていることが怖くなった。
 こういった死との遭遇は誰もが経験するものだろう。そして誰もが時が経つにつれ無意識の底へと沈めていき、また何事もなかったかのように普段と同じ生活を始める。それは僕とて例外ではい。しかし、いくつもの黒いわだかまり、生き物の神秘的な生の仕組み、死へのプロセスへの疑問はその後も消えることがない。ただ他の大人たちと同じように意識しないだけだ。
 中学、高校と進学するにつれ、ホスピスケアについて、「病院で死ぬということ」や(世界で一番やさしい哲学の本)「ソフィーの世界」などの本を読むうちに人の心についてももっと知りたいと思うようになった。そして好奇心だけでなくそれらの知識を生かした医者になろうと思うようになった。僕は名医になろうとは思わない。だが良医になりたい。医学の知識を身につけ、技術を養い、医者に不可欠な責任感、協調性、寛容さを兼ね備えた医者に。
   現実はそんなに甘くないのは解っている。だが、それに押し潰されずに頑張りたい........。   (一行40字換算840字)




Monday, June 2, 1997 10:19:46 AM
差出人: Naosuke Kanenaka
タイトル: 09024

 僕の頭の中に医師と言う職業が定着したのは高校1年の時だったと思う。それまでは医師になろうなんて少しも思わなかったし、又考えもしなかった。むしろ私の父親の影響からか、学校それも大学の先生になって自分の研究したい事を研究し教壇の上で発表したいなんてことを考えていた。医師と言う職業を意識しだしたのは私が当時テニスをしていた事がきっかけとなっている。そして今医学部に入学し医師への第一歩を踏み出したのである。
 私は小学校6年生の後半からテニススクールに通い初め、中学校にはいると本格的に活動を実行するようになった。当時まだ中学生にとってはかなり過酷なスケジュールをこなし、2年生の2学期以降からは国内、国外の試合が続き成長期の体に莫大な負担をかけていた。使いすぎによる疲労のためか、高校1年生の春に肩を故障した。テニスにとって(テニス以外のスポーツでも、もちろんの事かもしれないが)肩を悪くするのは致命的なことで肩が完治するまで、じっくりと治療に専念しなければならなかった。私は数々のスポーツマッサージセンターや
スポーツ障害を扱っている病院へ訪れた。そこで初めて出会ったのがスポーツドクターであった。私はこの医師から丁寧に治療をしてもらい、少し良くなってくるとリハビリテーションや再発を防ぐために肩の筋肉を強化するトレーニングの方法をおそわった。その会もあり、表面上は無事に復帰する事ができた。しかし、肩を故障してから完治するまでには約1年の月日を要した。この一年間は思うようにプレーできず、今まで簡単に勝っていた相手にまで負けてしまう事が度々あった。私はこのときはじめて故障によって泣かされ、そのスポーツから引
退しなくてはならない多数の選手たちの気持ちが分かった。不安、焦り、身技共にどん底に陥った時の気持ちを実感し、初めて私の心の中に自分を支えてくれた医師のようにスポーツ外傷を扱ってみたいなあと思ったのが私が医師になろうと思った原点である。




Thursday, May 29, 1997 2:32:06 PM
差出人: Aya kadowaki
タイトル: 09023 医学を志す理由

 看護婦である母の影響で、幼少のころより私の夢は看護婦になることであり、医療関係には興味がありました。しかし、テレビ報道などで、抗癌剤で苦しんでいる人や、臓器の摘出手術を繰り返してきた人や、長年家に帰ることもできず、外に出ることもできずにいる人の話を聞く度に、大きな疑問を持ちました。また、高い熱があったり、小さい子供を連れている人が、一時間以上も外来で順番待ちをしていたり、流れ作業のような診察風景を目にする度に、かえって具合が悪くなってしまうのではないかと思ってしまいます。どのような薬の副作用の苦しみや不自由があっても、一ヵ月でも長くいきたいと思う人もいるでしょうが、たとえ寿命を延ばすことができなくとも、家族と共に過ごしたり、自分のやりたいことをしておきたい人もいるのではないだろうかと考えるようになり、看護婦になる夢がぐらついた時期がありました。
 そんなとき、札幌の病院のホスピス病棟の医長をしているという27才の女医さんの話を聞いたのです。ホスピス病棟には、末期癌や、エイズに感染している患者さんが多く入院しているそうですが、自分の病名も余命も承知の上で、延命手術も行わず、無駄な薬も飲まず、自分の希望に近い通りに生活しているそうです。気のあう人と外で日光浴をしたり、クリスマスにpatyをしたりと、自分が楽しむことを忘れずにいるのです。また、自宅に返りたいとなると関係者たちが患者さんがより楽に過ごせるよう、いろいろと工夫をするのです。病院関係者は患者さんの命をただつなぎ、私の目指したいものであると思いました。それから、いろいろなホスピス関係の本を読んだりしました。また同様な理由で在宅医療にも興味を持つようになりました。
 ホスピス病棟では、医者が患者に指示をするという関係は成り立ちません。患者さんの主張を少しでも多く、負担を少なく実行できるようにしてあげなければなりません。そのためには人の意見を聞き入れられる位の心の深さと、人を思いやる気持ち、そして少しでも快適に過ごせるための医療技術を見に付けなければなりません。初めからホスピスに従事できないかもしれませんが、いろいろなことに出会い、私が人間として一回りも二回りも成長し、技術を身に付けることができるよう努力し、最終的にはホスピスまたは在宅医療関係に従事したいと思います。




Thursday, May 29, 1997 6:06:01 PM
差出人: Noriko kakimoto
タイトル: 09021 なぜ医師を目指したか

 なぜ医師を志したのか?私の周囲-親戚、友人など-には、医療関係に直接従事している人はいないし、私自身、幼い頃から大した怪我、病気もなく(今は、今後のためにも、一度でいいから、手術、入院を経験したいと密かに願ってはいるのだが)、病院や医師に、「お世話になった、感謝している」という感覚はまるでない。「医学部=頭のいい人」という図式が無意識のうちに頭にあって、ハナッから考えてはいなかった。 
 そんな時、何気なく立ち読みした雑誌に載っていたカラー写真に大きなショックを受けた。チェルノブイリ原発事故から10年近くもの年月がたつにもかかわらず、被爆地で生まれる不運な子供達。頭が異様に膨れ上った赤ん坊の顔のアップ。差別的、非人道的発言だと批判されるのを覚悟で、敢えて言わせてもらえば、正直に言ってその時の私の感想は「これは人間ではない」といったものだった。その子のことを友人に話した時、我知らず涙がにじんだことを思い出す。なぜこんなことが起こるのか!こんなことがおこっていいのか!と、無性に怒りを覚えた。それと同時に何の役にも立たない自分が腹立たしく思えた。その記事には、乏しい医療設備で懸命に治療にあたる医師達のことが書かれていた。
 別の機会で見た光景も、医師に(漠然とながらも)なりたいと思うキッカケとなった。アメリカで行われる、精神の病(詳しくは忘れてしまった)の、イルカを使った治療法が、テレビで紹介されていた。人をまるでいたわるように、気遣うように、静かに優しく泳ぐイルカと、それに触発されて、反応し、笑みをこぼす患者。そして、彼等をサポートする医師。生物への愛しさ。人間の可能性、未知の部分への期待と興味。それを目のあたりにするかもしれない医師への羨望。そんなものが心の中に入り乱れた。
 また一方で、ドラマや小説の影響で、法医学に興味を持った私は、いろいろな法医学者達の本を読んでいた。大学の教授をはじめ、監察医だった人、又、外国で活躍していた人。彼等は、一般の医師とは逆に、『死』を扱うが、遺体を解剖し、観察し、生前の姿を推察するにあたって、死者に対し、実に温かい情を持っていた。死者の背負ってきたドラマに思いを馳せる。そして、その死を無駄にはせず、生きている人々に還元する。そこには死への恐怖はなかった。
 『誰かの役に立つ』というのは、多くの人々の願望だし、生きる糧とも成り得るものだ。もちろん、世の中に役に立たない職業、人間というものは存在しない。要は、『自分が何に(この場合は、どの職業に)、価値、重きを置くか』ということだ。私の場合は、それが医師だったように思う。私の進路の方向転換に最後の後押しをしてくれたのは、同じく医師を目指した友人の姿だった。友は、今は他の学問を学んでいるが、私を今でも応援してくれている。人は常に誰かに支えられていること。そして又、誰かを支えていくこと。それを胆に銘じて、社会のためになるような医師、人間になりたい。




Friday, May 30, 1997 5:00:43 PM
差出人: Akio Obara
タイトル: 09020 なぜ医師になりたいか  

 僕は幼い頃、とても病弱でした。そのため、「お医者さん」のお世話になることが何度もありました。幼い頃の記憶といったら、病院に行っていたことばかり・・・。だから、自分が患者の立場に立ったときの経験から、患者さんたちの苦しさや不安はよくわかるつもりです。
 そのときの幼い自分が見た「医師」の姿は、正直、かっこいいと思いました。「患者さんの病気を治してあげられるって、なんてかっこいいんだ」と、幼いときの自分は素直に思いました。「医師」という仕事に興味を持ち始めたのはその頃でした。
 はっきりと「医師になりたい」と思い、医学部を意識し始めたのは、高校に入ってからでした。はじめは、幼い頃の憧れから「ただなんとなく」という気持ちもありましたが、「地域医療」の重要さを知ってから、医師を志す理由が明確になった気がします。
 現在、医療技術は日々進歩していますが、その恩恵に恵まれない地域も、日本にはまだまだあります。よく、現在は「医師過剰時代」であると言われますが、実際、僻地等ではまだまだ医師が足りません。
 僕はこのことを聞いて、こういった医療に十分に恵まれない地域で役に立つ医師になることができるのなら、自分の人生をかけてもいいな、と思いました。もともと、医師の仕事をするのなら、大学病院でするよりも、地域に密着した場で仕事をしたいな、と思っていました。その方が、患者さんと十分にコミュニケ-ションがとれ、患者さんの立場に立った、本当に患者さんのためになる医療ができると思ったからです。医療技術がますます発展するこれからの時代、「患者さんを診ないで病気だけを診る医師」ではなく、「常に患者さんの立場に立った考え方ができる医師」、「患者さんの不安や悩みをちゃんと聞いてあげられる医師」、そういった、思いやりのある医師が求められるのではないでしょうか?僕は将来、医師として仕事をするにあたって、基本的な知識や技術を身につけているのは当然のことですから、それに加えて、患者さんを思いやる気持ちを大事にできる人間になりたいと思います。
 この気持ちを6年間、そしてその後もずっと忘れないで頑張りたいと思います。




Friday, May 30, 1997 2:17:12 PM
差出人: Takurou Ozaki
タイトル: 09018 医師を志す理由

 医師になりたいと思いはじめたのは、小学生の時、左足を骨折してからだ。ギプスをまいて固定された時の圧迫感から、ギプスがとれて、両足で歩けるようになったときの嬉しさは、今でも忘れない。近くの開業医で、セッコウのギプスを巻いてもらったが、後で、医師である父がプラスチックのギプスを巻き直してくれた。父は医師であるが、大学病院、県立病院に勤める勤務医なので、医師を身近に感じることは、それまでほとんど無かったが、家にいるときとは違った父に少なからず驚いた。
 中学2年の夏、軟式野球ボールが顔面に当たり眼科で、網膜剥離になる危険があるとして、目をできるだけ、動かさないように安静に寝ているように言われ、失明の可能性に怯えながら、暑い夏の間、ただひたすら、蝉の泣き声を聞きながら寝ていたことが、思い出される。
 中学3年になって、高校受験のことを考えるようになって、小学校、中学校と地元の公立に通ってきたが、そろそろ奈良も飽きたので、歴史のある町、京都に憧れ、京都の私立男子校に入った。
 高校1年の終わりに、文理分けがあり、歴史が好きなので文学部史学科と医学部とで、かなり悩んだ。理系なら後々文系に変更可能だろうと判断し、ひとまず、理系クラスを選んだ。史学科の志望理由は明瞭なのにたいし、医学部のそれはパッと言えるものではなかった。医学部の偏差値の高さも、史学科なら関西、関東の大学に行けるのにと悩ませる元だった。高校の寮生活を通して得た友人と徹夜で相談しあったこともあった。
 生まれた時の小さな体が食べて寝るだけで成長する不思議に魅かれたこと。中学、高校と身長の高さが鍵を握るスポーツをやってきて、背、骨の伸びる過程に興味を持ったこと。成長してゆく自分の体とは逆に祖父母は会う度に衰えて見えて最近は、両親でさえも、小さく思え、弱く見える。それだけ、僕の体が大きくなったということか。そういった成長と衰弱に関心をもったこと。将来は、田舎で、地域文化や郷土史を学びたいと思っていたので、地域医療に関心をもったこと。それよりも、やはり、父の影響があったと思う。
 以上が医師を志す理由である。




Thursday, May 29, 1997 3:00:32 PM
差出人: Hiroaki Ohhira
タイトル: 09017

 私が医師を志したのは、そう、今を去ること幾星霜−とでも始めれば一応の格好はつくのだろうが、残念ながら嘘は書けない。私が具体的に医師という職業を考えだしたのは、ちょうど一年ほど前のことである。それも積極的な理由があったからではなく、実に消極的な理由によってなのだが、それにはまず、私の家庭環境をお話ししなければならならないだろう。
 少しく大げさに書きすぎたかもしれないが、別に私の家庭環境が特異なのではない。私は長男で、下に弟と妹が一人ずつ。両親、祖父母とも健在で、ついでに書くと、私は今まで、人の死に際というものを見たことがない。そして、これが重要なポイントなのだが、私の父、父方の祖父の二人は歯医者なる職業についているのである。
 当然、父は私を歯医者にしようとした。ところがその子は文系志望。よくある話だが、どちらもなかなか譲歩しない。
 しかし、文系志望の私の方は、ただ文学の勉強がしたかっただけ(もっともそれが一番大切なことではあるが)で、将来的な見通しはなにもなかった。歯医者の父の方は、もちろんその職業に誇りをもってはいたが、心の底から満足しているかと問われれば、いささかひっかかる点がなきにしもあらずといったところだったろう。
 そもそも私が文学に興味をもったのは、そこに人間が描かれているからである。人間の勉強をしたかったと言い換えても良い。ならば人間というものを知るのに、別の、全く未知の視点からみてもいいのではないか。そして、私の選んだその視点とは、医学だった。
 だから私は、医師を志したというより医学部を志したのである。病気の勉強をしにきたのではなく、人間の勉強をしにきたのである。
 甚だ身勝手ではあるが、私が今ここにいる理由を問われれば、こう答えるしかない。また、医師を志した理由を問われれば、どうやら中味のある答えはできそうにない。逆に言うと、どうしても医師という気負いはないのであって、私にとってはそれは強みともいえる。もっとも、これは若さの傲慢にすぎないだろうが。
 実に無責任なことを書きなぐったようである。もちろん、税金で勉強していることに対しての責任は感じている。きちんと社会に還元せねばなるまい。そしてそれは、他ならぬ自分の為でもあるのだろう。
 ぼちぼちこのレポートも終わりにしなければならない。私と父は、双方が譲歩した形となってめでたく和解した。しかし次には弟が、もしくは妹が、私と同じ様な立場となるやもしれぬ。その時私は父に、そして彼等に、何か言ってあげられるだろうか。最近、そんなことが気になってならない。 




Wednesday, May 21, 1997 1:19:08 PM
差出人: Masaki Ohta
タイトル: 09016

 医学部を志望した理由
 東京大学薬学部に於いて、複雑な構造を持つ生体活性物質の有機化学的合成と、医薬品の新規合成経路の開発に携わりながら、私の情熱は単にモノの製造に注がれている気がし始めていた。私が薬学、生理学、分子生物学、有機合成化学等を学んだのは医薬品を通して医療に貢献し、人類と生命に奉仕するためである。この思いは今日益々強く、個々の人間に相対し必要とされる医療と福祉を行うために、改めて医学部への入学を希望し、厳しい研鑽の毎日にも耐え忍び、我が生涯を捧げて日々研究と医療活動に心身を尽くす所存である。
 どのような医師になりたいか
 癒しと慰め。知識を拡げ智恵を蓄え、未知なる困難の解明探究にも果敢に挑戦することにより医学的な癒しを得るのみならず、一人一人に親身に接し必要に応えることにより、生きる勇気と希望、慰めを伴う全人的な癒しを得る。常に生命へ対する畏敬の念を抱き、困難に対しても平静の心を保ち、己も小さき者の一人であるという謙虚な自覚を忘れず、マザーテレサの言う処の小さい者の内の最も小さき者に対する愛の故に、この人生を捧げて献身的に医療と人間との為に尽くせる様な医師に、私はなりたいと思う。
 25歳の春の決意である。
 
 For it is God who is at work in you, both to will and to work for His good pleasure. Philippians 2:13
Commit your way to the LORD, trust also in Him, and He will do it. Psalms 37:5
He has made everything appropriate in its time. Ecclesiastes 3:11




Wednesday, May 28, 1997 4:54:54 PM
差出人: Shinobu Ohshima
タイトル: 09015医師志望理由

 私が医師を志望した理由は、たくさんあるが、主なものを書きたいとおもう。
 まず、1つ目の理由は、週刊少年マガジン連載中の漫画スーパードクターkを読んで感動したからです。主人公のカズヤは、超人的な体力をもち、悪人を倒し、世界一の腕で手術をこなしていくのです。私はそれを見て、日々筋トレに励み強い医者になろうと思いました。
 2つ目のりゆうは、言わずと知れたブラックジャックに感動したことです。彼の疎外的な生き方に、私は非常にあこがれました。また、金のために、医者をやっているようで、実は生命の尊さを一番理解している黒男の様な医者になりたいと思いました。
 3つ目は、あるテレビ番組で、結婚したい相手の職業の1位に、医者がはいっていたからです。私はそれをみて、絶対医者になるしかないと思いました。
 4つ目の理由です。私は小さい頃から、何か一生をかけられるような仕事をしたいと思っていました。小学生の時は、教師になろうと、思っていました。3年B組金八先生の再放送を見て感動したためでした。そして、中学生のときに、特捜最前線の再放送を見て刑事になろうと思いました。それから、高校の時に赤かぶ検事の再放送をみてまたまた感動して、検事になりたいと思い文系コースにいきました。しかし、高校3年生の時恩師の死に直面し、命を救う使命を持った医者という職業の存在に気がつきました。そこで、理転してもうべんきょうをしました。これが、4つ目の理由です。
 以上のことは、ややフィクションが含まれております。
 あしからず。
 さようなら。




Thursday, May 22, 1997 9:08:10 PM
差出人: Yumiko Ohsaka
タイトル: 09014

 死にゆく人にも、何かをしてあげることができる。これが私が医者を志した最初の思いである。どんなに医学が進歩したとしても、どの時代にも限界がある。その限界を前にして、医療関係者は、敗北感を味わうのだろうか。死が敗北だと思っていた頃、医療は最終的には無力なものだと感じていた。
 中学2年の頃、ある1人の少年のエイズ闘病記を読んだ。彼の名は、ライアン.ホワイトという。私がその本の中で一番初めに衝撃を受けたのは、彼の母親が病名を告知したシーンだ。自分がエイズであることを知った少年は母親に「僕は死ぬの?」と尋ねた。
そのときの母親の応えは真実そのものだった。「人間はいずれ皆死ぬわ。」どんな重病でも「必ず治るわ」と応えるのが常識だと思っていた当時、この応えはショックだった。しかし、えらく感動した。この母親は、真に強い人だと思った。自分の息子の辛い現実を受け止め、彼を支える自信、あるいは勇気があったからこそ、彼に死ぬまでしっかりと生き続けて欲しいという願があったからこそいえた科白だと思う。実際に彼は、その母親の強い支えにより最期まで力強く、望みを捨てることなく生き続けた。不治の病を前にして、あんなにも強く生きることができるとは信じられなかった。彼の生きざまを読んでいくうちに、人間は死ぬまで生きるのだという事実に感動した。彼が逝くとき、彼の母親は苦しげに白眼をむける息子に向かって、「もういいから逝きなさい。」といった。その言葉とともに彼の呼吸がとだえたとき、私の全身から熱い何かがこみあげてくるのを感じた。「死なないで。」とすがることができても、「もういいから逝きなさい。」と諭せる人はいったいどれほどいるだろうか。
 死を受容することは、生を諦めることではなく、生の最難関のひとつを突破することだと思う。死を大事にすることは、生を大切にすることであると思う。私は、人間が好きだ。お節介になってしまうかもしれないが、そんな人間には幸せに生きてもらいたい。だからこそ死を大切にしてもらいたい。大切したい。死という一人では乗り越え難い現実を援助できるひとになりたい。そんな思いから、私は、医師を志す。
 




Friday, May 30, 1997 6:57:46 PM
差出人: Riho Ohi
タイトル: 09013 医学を志した理由

 なぜ医学部をえらんだか。
私立の医学部を受けたとき、面接や小論文で何度も聞かれた。そのときほかの受験生の答えを聞きながら、実は私は困っていた。
 なぜ医学部を選んだのだろう。1つ言えることは父が医者であったからこそ、医者になろうと思っただろうことだ。
 親は医者になれとか、家をつげとか言ったことはない。むしろこんなに大変なのはおまえには無理だから医者になるな、とさえ言ったこともある。確かに周囲のプレッシャーを感じなかったわけではない。しかしやはり私は自分から医者になろうと思った。
 そして私にとって、医師である父はとてもとても偉大であった。医学部を卒業し、博士号をとり、それから家族を連れてジョンズホプキンズに留学した。休みもままならず、盆もお正月も働いていることもある。体調がどんなに悪くても患者のために体を休めることもできない。寝ていても急患のために起こされる。なにより、患者のためをおもって仕事をしてる。
 父が医師であるのは変えられない事実である。同じ状況の人は、もしかしたらわかってくれるかもしれないが、医師である父の背中を見て育った私は、漠然とであるが医師になるものだと思っていた。いや、同じ状況の人がみんなそう思うはずはないだろうし、事実ほかの職業を選んだ人もしってる。けれど私は尊敬する父がいたからこそ医師になろうと思ったのである。
 私にも、理想の医師像がある。こんな医師になりたい、あんな医師にはなりたくないというのもある。理想の医師に近づきたくて医学部に入ったのもうそではない。
 ここまで書いてとても言い訳じみてると感じるが、これが本音である。情報学の宿題ではあるが、入試でうそ臭いことを書くのに疲れたので、自分の気持ちを整理する意味を込めてここまで書いた。それでも少しは、見栄があるかもしれない。ほかの人のレポートを読んで困った(皆確固たる意志がある)が、私は父の影響を受けながらも、自分でこの道を決めたといえることに自信を持ちたい。
 、、、、なに書いてるかよくわからんくなってきた、、、、。




Thursday, May 29, 1997 2:45:33 PM
差出人: Hiroko Iwamoto
タイトル: 09011  何故医者になりたいのか

 自分としては、人生をどう生きていきたいのか、考えた末、医師になりたいとおもった。
 私がなりたい将来像は、仕事をもって、いきいきとしている女性だ。女性であることに誇りを持ち、男性を含む人間社会の中で自分の才能、知識、意志を実現している女性になりたい。そして何才になっても向上心をもって、精神的なゆとりもある、オシャレな人になりたい。
 でも、正直に言えば、自分を誇れる何かが欲しいということかもしれない。
 まだ医師という職業に目を向けていなかった頃、自分が、いわゆる平凡な主婦になってしまうと想像して、恐ろしかった。自分が五十才になり、太り始めてみっともなくなった時、生きている事がイヤにならないかどうか。八十才になって寝たきり老人になってしまった時、<楽しい人生じゃなかったな。>とぼやいてしまわないのか。
 私は、母のことを尊敬してはいるけれど、母が選んだような人生は、私は選ばない。それが、私の原点だ。
 女の人生というのは、えらんだ夫によって決まってしまうと思う。(もちろん、結婚すればの話)。
 私の父は、母に絶対的に支配力をもっている。母の時間もお金も父のものだ。そして、どんなときも母は父に逆らわない。頭に来ても、波風をたてるのを恐れて、結局自分から謝ってしまう。
 私が結婚する時は、別居も受け入れてくれる男性がいい。夫婦は心でつながっているものであって、お金や制度でつながっているものではない、と思うからだ。
 男性と同等になりたいというのではない。しかし男性に束縛されずに、自分の時間と空間は自由に使いたい。
 自己中心的な理由だが、医師を目指したのは、上記の私の夢を、一番を実現しやすい職業のような気がしたからだ。




Monday, May 26, 1997 0:55:14 PM
差出人: Satoru Itoh
タイトル: 09009

現代は、医師過剰の時代であるということ をよく耳にします。実際、学長もお話の中で 医師を減らせというお達しがきているという 事をおっしゃられていらっしゃいました。確 かに、都市部ではいたる所に病院が乱立し、 それを裏付けている様にもみえます。しかし、 全体的に見ても本当に過剰であると言い切れ るのでしょうか。
私は、小学生の頃からボーイスカウト活動 に従事しています。そのせいもあって年に5 6回は、キャンプに行きます。中でも、夏の キャンプは一番大きく、いつもかなり遠出を します。高校2年生の時の夏のことです、民 家も疎らな所を転々と移動キャンプしました。
そのキャンプの最中のある夜に突然、友達が 腹痛を訴えました。皆、そのうち治まるだろ うと考えていました。しかし、痛みは治まる どころか益々ひどくなるようでした。そこで 病院に連れていくことにしました。私達のキ ャンプは、たいてい子供だけなのですが、そ の時はたまたま大人のリーダーがいらっしゃっ たので車で病院まで連れていってくださいま した。戻ってきてから聞いた話によると、病 院までは1時間近くかかったそうです。
この時、私は地域医療の現状を実感しまし た。また、もし偶然リーダーがいらっしゃら なかったらなかったら自分にはなにができた だろうかということを考えると、自分の無力 さも痛感させられました。日ごろから、救急 法の講習は受けていましたが、この時自分に は何もすることが出来ませんでした。また もし何かする事が出来たとしても、私達にで きるのは応急処置までなので何れにせよ医師 の診断を受ける必要があります。
地域医療が充実していないという状況は、 今でもなんら変わりはありませんし、都市部 を離れると見かける病院の数が激減すること は事実です。やはり、医師過剰の時代といえ ども本当に多すぎて困っているのは一部の都 市だけで、全体的にみれば、十二分に足りす ぎているとは言い難いのが現状ではないでしょ うか。このような状況を実感し、打開する必 要性を感じて、また、少しでも自分に力をつ けたいと思い、私は医学部を志望しました。




Wednesday, May 28, 1997 4:23:21 PM
差出人: Yuuichirou Ikebuchi
タイトル: 09008私が医学部を、、、

 はっきりいって、なぜ私が医師になろうとしたか考えたことがある。それも何度も。小学校の時、中学校の時の将来の夢。高校の時の将来なりたい職業。その度に私は医師と書いた。が、年齢が大きくなるにつれて、医師と自分が書いた理由がわからなくなってしまった。小学生だったころは、ただ単に自分の家が医者だったから医者になりたいと考えていた気がする。でも、中学、高校と進むにつれて、医者になることが決して楽なことではないと気がついたとき、あらためて、なぜこうまでして医者になる必要があるのか考えさせられた。また、医者になるのが嫌になることもあった。それは、単に勉強が面倒だったのかもしれない。とにかく、なぜ医者になろうとしているのかわからなかった。別に、親が医者になれといったのではない。けれども、祖父母や、周りの人からは、多少プレッシャーは感じた。そうこうしていたら今、私はここにいた。
 そして1カ月がたった。その日はボート部の先輩が、試合に行くのを見送りにフェリー乗り場にいった。先輩が出発するのをまっているとき、外が少し騒がしくなった。気になって見に行って見たら、男の人がトラックに巻き込まれて、たおれていた。その男の人の様子は、多量の出血をして、片方の足がつぶれているようだった。早くなにかをしなくては、と思うが私には何をしていいかわからず、また、何もできなかった。そこには、ボート部の医大生が20人ぐらいいた。私がそこで見ていたら、見世物じゃないんだ、と周りの人に怒られた。幸い、上の方の先輩がいて止血をして、救急車がきて運ばれた。その時わかった。医大生であるのに何もできなかったこと、また邪魔者扱いされたことが腹立たしくて、そして悔しかった。
 今後、いつどこでどんなことに出会うかわからない。1度でも医者になろうと考えたからには、もし何かあったとき何もできないのは悔しい。だから、自分が何かできるようになりたいから、医者になりたいのかもしれない。




Wednesday, May 28, 1997 0:39:18 PM
差出人: Madoka Ikeshita
タイトル: 09007 私が医師を志したわけ

 「私が医師を志したわけ」 それは実際のところ私が一番知りたいと思っているものである。というのは、私自身分かりかねているからだ。
 はっきりいって、私にはこれといって医師を志望するような理由がない。親は医者ではないのでならなければならないわけではない。むしろ親はなってほしくないようである。成績も国立の医学部を受けるほどには良くなかったので、学校の先生も勧めなかった。というよりも、思いとどまらせようとした。大病をしたり大怪我をしたりして医師という職業に感動したこともない。実をいうと、入院したことすらない。
 けれど、「医師になりたい」と思ったのは事実である。なぜ思ったのかはわからないが思ったんだからしょうがない。小学校高学年頃から、漠然とではあるが医師を将来の仕事として考え始めた気がする。きっかけ、というか影響を与えたことに二つのことがあると思う。一つは、いとこが十代半ばで死んだということ。これは今でもどこかに引っかかっている気がする。もう一つは、私自身風邪をひきやすい体質だったのである医院によくお世話になったことだ。
 しかしその頃は、私もなれる自信がなく、誰にも言えなかった。中学生ぐらいになると、私のような気の短いそこつ者がとうていなれる職業ではないと思い、半ばあきらめていた。高校生になってもやはりそう思っていて、いろいろ考えた結果、同じ医療関係で薬剤師なら、と思い始めた。実際高校三年生の初めぐらいまでは薬剤師のつもりだった。しかし、なぜか土壇場になって、私は医師の道を選んだ。やっぱり人と直接接していく仕事のほうがいい、と思ったのもあるし、単にあきらめきれなかった、というのもあると思う。そして、化学にあまり興味をもてなかったのも一つの原因だろうと思う。
 以上が「私が医学部に来たわけ」である。本当に理由らしい理由もなく、確固たる理由をもって医師を志している人には申し訳ない限りである。しかし、私なりに悩んで選んだつもりだ。この選択が正しかったのかどうかはわからないが、とりあえず行けるところまで頑張って行ってみようと思う。




Friday, May 23, 1997 4:50:40 PM
差出人: Satomi Arima
タイトル: 09006 なぜ、医学部を目指したのか!?

 私が、医者になりたいと思ったのは、かなり幼いころのことである。
 私の家のかかりつけの医院の先生が、非常に高潔な方で、その私心のない診療態度にひかれたからである。日夜、地域のために奉仕しており、決して妥協をせず、自己鍛練をかさねてらして、私自身も夜間の高熱、脱臼、ずいぶんお世話になった。
 しかし高校時代の私は、数学が苦手であり、家庭の都合で浪人も許されなかったので文系に進み、両親が離婚したときにお世話になった弁護士の影響もあって、法学部に進学した。
 そこでのぬるま湯ののような生活の中で、私の医学への夢も薄れ、現状に満足するようになった。結局そこで、法律関係の資格を取得し、法律の事務所に就職した。
 だがそのような人生の節目を迎える度、私の心の中にわだかまりが残り、自分の生き方そのものにたいし些少の嫌悪感を抱くようになった。本当にこれでいいのか!?何度も自問自答を繰り返した。
 事務所に入所してからの私の業務は主として自らの顧問先を回り、書類を作成することでありそこでさまざまな人とであった。もちろんその中には医師もおり、彼等から医療の現実や、厚生省が言うほど医師が余ってはいないこと、再受験のことなどを耳にする機会に恵まれた。またそれらの人の中には誠実な人も多かったが、中にはなぜ医師になったのか疑問に思う人もいた。
 丁度そのころ、私の友人が交通事故にあい、病院をたらい回しにされたことがあった。
 どうして受け入れられなかったのか?! だれのための医療なのか!?
 私の中の前述のわだかまりと、医療に対する不信感、、医師として不的確であると思えるような人の存在。私はこのとき事務所をやめ、受験勉強にはいる決心をしたのである。
 私にとって医師になることとは、幼いころの夢をかなえるという自己実現の意味を持つだけではなく、自己鍛練の上にたった確かな知識の下で、少しでも社会全体にたいして奉仕をしたいという気持ちの現われでもある。
 相手の立場にたち、弱者のための医療を実現させたいと考えている。




Friday, May 30, 1997 10:48:07 AM
差出人: Tomonori Asada
タイトル: 09005 医師を目指した理由

 私には医師を目指そうという気持ちになった理由がいくつかあります。
 ひとつは幼いころに大きな病気にかかったことです。即手術を受けなければ死ぬ可能性が大きいといわれるような病気による私の異変に看護婦をしていた母が気付き、すぐに病院に連れて行ってくれて命を取り止めたことと、両親、妹、親戚、友人、学校の先生など私と関わりのあった人がその病気による私の身体の違いをありのままに受け入れてくれて他の人達と変わらぬ接し方をしてくれたことで私はこれまで普通の生活を送ることができました。その普通の生活を送ることができたのは医療があったからで、成長するにしたがって医療に対する関心、特に直接接していた医師に対する関心が私の中で漠然とながら大きな部分を占めるようになっていきました。
 さらに中学生のころに両親から、私が手術を受けたのと同じ時期に同じ病気にかかって亡くなった子の話を聞いたことも理由の一つです。その子の両親は医師からの手術を受けさせるようにという説得を受け入れず、私の父が同じ子を持つ親の立場から医師に協力し、話をしてみたがそれでも駄目で、その子は結局亡くなってしまったという話を聞いたことで(そのときにはまだ個人の価値観の違いについて深く考えていなかったこともあり、相手の意向は考えていない態度ではあるのですが)できることなら自分の手で救える命は一人でも多く救いたいと強く考えるようになりました。
 その後高校生の頃はそれまでに作られた自分の考えのまま医師を目指し勉強をしていましたが高校卒業時には成績が伴わず、医師以外の医療従事者としてでも医療に携わりたいと考え、一旦は医師ではなく別の医療従事者を目指し勉強をしていました。しかしそこで勉強を続けているうちに同じ医療に従事している者でも取得免許の違いから関与できない領域の広さを痛感することがあったため、最も幅広く関与できるであろう医師を目指して医学をさらに深く勉強し、そして患者そのものと接しながら医療に関わりたいという思いを再び強く抱くようになりました。





Friday, May 30, 1997 5:03:23 PM
差出人: Takashi Asada
タイトル: 09004志望動機

 僕が医学部を目指した理由は、医師という仕事そのものに魅力を感じたからです。
 一番最初に医師 という仕事に対してあこがれを抱気目指してみようと思ったのは、5歳の時に野口英世のことを知ったときだったと思います。月並な理由ですが、当時の僕にとって命を削ってまで研究を続け研究の中で命を落とした野口英世という人物のとった行動は大きな衝撃であり、自分も将来彼のように命を懸けて行動する医師になりたいと思うようになりました。成長するにつれて、いろいろと見聞を深めるうち、自分が医師を目指す理由も一つだけではなくなりました。しかし、現在でも野口英世は僕にとって憧憬の対象であり、一生を懸けて彼の姿を理想として自分の仕事を追求していきたいと考えています。
 僕は医師という職業は、その仕事そのものは直接人間の文化の発展に対して寄与しない仕事だと考えています。なぜなら、医師の仕事は人々の健康を増進し維持することを援助することであり、それが芸術の創造や学術の進歩とは直接的な係りが薄いように思えるからです。例えば建築家は新しい建築物を設計していくことがそのまま文化の創造になっているし、物理学者は物理学上の新発見をすることで学術を発展させていきます。また、仕事としてでなくレジャーとして遊びに熱中することも人間としての文化の発展につながっていくと思います。つまり、僕の考えでは文化の成長とは人間が生きていくためにしている行動を通じてではなく、むしろ極端にいえば娯楽的な要素を含んだ行為を通じて行われるものであり、ゆえに医師という仕事は文化の創造とは少し離れたものだと思うのです。しかし、建築家も物理学者も病で倒れてしまっては彼等の成し遂げようとしたことを終えぬうちに世を去ることになります。そこで医師の出番ガ来ます。医師は文化の発展を直接担う人々を健康の面で少しばかりサポートさせていただくことで、彼等が業績を成し遂げることを陰ながら手伝うことになると思うのです。その結果、医師は多くの患者さんと喜びをともにすることができると思うのです。これが医師という職業の醍醐味であり、この仕事にはほかでは得られないやりがいがあると思うのです。
 僕は将来基礎医学、特に免疫研究の方へ進みたいと今は考えています。直接表には出ることのない仕事ですが、患者さん達に希望を託され新たな治療の糸口を探していくこの仕事は臨床医同様にやりがいと責任を感じることのでき仕事だと思います。
 これから自分の理想とする医師を目指して頑張っていこうと思います。




Tuesday, May 27, 1997 2:08:16 PM
差出人: Kazumi Akimoto
タイトル: 09003 なぜ医師になるのか?

  幸せだと思えるのはどのような時だろう。生きていてよかったと実感するのはどのような時なのだろう。死に際に、<私は幸せだった>と思えるだろうか。
 人生で最も光輝いて見える青春時代、そして仕事につき、社会に貢献している、人の役に立っている、家族の役に立っている、楽しく日々を過ごしている、という充実感に満ちた時期を経て、ひとはいつしか老い、あるいは病に倒れる。どんなに光輝き、充実した生活を送っているひとにでも死は訪れる。
 医療機関で死を迎える人が圧倒的に多くなった現代、ひとの死へのプロセスに対して医療従事者が及ぼす影響は、あまりにも大きい。医療機関は、ひとの生命を救う場であると同時に、それまでの何十年というひとの人生が簡単に打ち壊されてしまう場でもある。自分の人生が崩れかけようとしている恐怖の中で、患者はどれほどの気持ちで医師と向かい合っているのだろう。医師の何気ない言葉や態度が、患者の、自分の人生を自分らしく全うしていこうとする力を奪い去っていることはないだろうか。
 私が医師という職業を志した理由の一つは、医師はひとの死に際に最も近いところにいる、と思えたからである。医師は、ひとが幸福な状態から奈落の底へつき落とされるその瞬間に最も深くかかわっている人々だと思えたからである。ひとは各々の人生を各々のアイデイアと努力によってさまざまに花開かせている。そこでは個個人の意思がキーポイントだ。しかし、老いる、病気になる、死ぬということは本人の意思で決定することができない。いくら思い通りの人生を送ってきたと言えるひとであっても、死へ限りなく近づくプロセスまで思い通りにプランニングすることはできないのだ。医療者、とりわけ医師への依存度は高まらざるを得ない。医師はひとりひとりの患者の最終ステージに、どうしても大きな影響を及ぼさざるを得ない存在なのではないだろうか。
 普段の生活では、若者は老いについて考えず、健康なひとは、自分が病に倒れること、ましてや自己の死についてなど想像したいとは思わない。しかし、医師は、常に病と老いと死に直面し、常にそのことを考え続けなければならないのではないか。この、<ひとが最も考えたくないことについて考え続けなければならない>ということに私は強く魅かれる。ひとの死について、苦悩について思いを馳せることが、もし患者の人生の最終ステージを、少なくともみじめなものにしないことに少しでも役立つならば、<私は幸せだ>と思えるに違いない。
 <あなたはなぜ医師になろうと思ったのですか。>という問いは、私にとって<あなたは何を大切にしたいと思って生きているのですか>と同じ問いに思える。医師となってからも、この問いを自分自身のなかで何度も繰り返しながら、悩みつつ、苦しみつつ、それでもしぶとく生き続け、そして死んでいく。死を目前にして<幸せな人生だった。生きていてよかった。>と思えるような医師としての人生でありたい。もしかすると、<この瞬間を予感していたからこそ私は医師になろうと思ったのですよ。>と、死体の私は答えているのかもしれない。




Thursday, May 29, 1997 3:11:24 PM
差出人: Yuka Aoki
タイトル: 09001 医師を志す理由

 私が医師になろうと思い始めたのは、祖母の闘病生活と死がきっかけだった。祖母は心臓が弱っていたのでペースメーカーを入れる手術を受けた。祖母は、機械を入れてまで長生きしようとは思わない、入れたくないとしきりに拒否していた。しかし、そうしないといつまた心臓が停止してしまうか分からないし、命の保障はできないと、かかりつけの医師に言われ、自分の子供たちに説得されて仕方なくそれを受け入れた。私としては、もちろん長生きしてほしいが、80歳近い高齢の祖母に対して嫌がることを押し付けなくてもいいのではないかと思ったし、そう言ったが、子供の言うことなんて受け入れてもらえなかった。
 手術後、祖母は以前から糖尿病だったためもあり状態は良くなかったし、80歳にもなって初めて体にメスを入れたということで精神的にもダメージが強かったらしく、なかなか回復には至らなかった。
 一度は回復の兆しをみせた祖母だったが、その年の8月の半ば頃から様態が急変しICUに入れられた。私たちが面会できるのは、白衣を着てマスクをし、消毒をした姿だったので祖母はよく看護婦と勘違いをしていた。そして手をあわせて「ここから出してください。死んでもいいから家へ帰りたい」と震える手でペンを取りガタガタの字でそう頼むのだ。その姿を見る度に私は目頭があつくなり、見ていられなかった。「看護婦じゃないよ」と何度も繰り返し、孫だと気付いてもらえないことを寂しく思った。最後まで家へ帰り、みんなに会いたいという祖母の願いは状況的に当然受け入れられることはなく、ICUで数人の親族と医師に見守られながら寂しく亡くなった。その時も取りつけられた装置をはずし、ペースメーカーを止めるだけという悲しい死だった。
 私はそのような姿を見てきて、私がこういう人を救わなくては....という、なんだかわけの分からない強い責任感を抱き始めた。私にとってこれまでに一番身近で、愛する人の死だった。私がはじめに医師になろうとしたのは、自分の身近の愛する人々を助けたい、守りたいという身勝手と言えばそうかもしれないが、そういう気持ちからだった。そう思ったのが中学3年の夏だった。私は以前から教師になりたくて、その夢も捨てられずにいた。医師という職業が私にこなせるのだろうかなどと自分に問い正し、自信を無くしたこともあった。医師になるのを諦めようとすると、いつも私の頭の中には祖母の悲しい姿が浮かんできて、やっぱり医師になろうと思い直すということの繰り返しだった。私が医師になった時患者さんのことを身内のように心から思い、守れるようになれるよう、人間的にも大きくなりたいし、知識も身に付けたい。そのためにも、ここで6年間頑張っていこうと思っている。 




Friday, May 23, 1997 3:15:41 AM
差出人: Toshiki Hirakawa
タイトル: 08078

 高校のとき二つの道を考えていた。ひとつは工学部に行って機械の仕事に携わるという道で、もうひとつは医者になるという道であった。そして高校3年のセンタ-試験が終わり、とうとうはっきりとどちらかに決めなければならなくなった。しかし、その年は浪人するんだろうなと思ったので別にあまり深く考えずに前期は医学部、後期は工学部を受けた。案の定両方とも滑り浪人することになった。そして、後期の試験が終わり予備校に入るまでの間にこのまま優柔不断に構えていてはいけないと思いよく考えてみた。
 まず、工学部を目指そうと思ったのはただ単に機械などが好きで興味があったのでその勉強をしたいと思ったからである。また高校のクラスの半数近くが医学部をめざしており、そういう風潮がいやだったのもあった。
 医者を目指そうとおもった理由は色々あった。まず父が医者であるという環境が医者を目指すことにあまり抵抗を感じさせなくなったということがある。また高校時代ずっと陸上競技をしていて、いい感じで高校2年の秋までタイムが伸び続けた。しかし冬に入る頃、急に足や腰が痛みだして病院にいった。そうすると最初に行った整形外科ではろくに症状も聞かずにレントゲンをとり注射を打ち湿布と鎮痛剤を大量に渡され、また来週来てくださいといわれ何千円もとられた。その日は、こんないいかげんな診察をする病院なんかに二度と来るかと怒りが込み上げてきた。そし、他にも2、3件病院をまわったけれども、よく分からないので安静にしていなさいとしか言われなかった。そうこうしているうちに春が来て痛みも和らいできたので走り始めたが3年間目標として来た大会では、思うようにはいかず本当に悔しい思いをした。そのとき、本当に良いスポーツドクターに診てもらっていたらどうだったのだろうかと考えると悔しくてしかたなかった。そして自分がそのような医者になりたいと思った。
  しかし、結局最終的に医学部を受けようと決めたのは国籍の 問題であった。いま自分の国籍は日本でない。これは一般企業に就職するのにとてつもなく不利である。従姉妹の就職活動の話を聞いたり本を読んでみるととても大変そうで、工学部を出ても将来が見えないように感じた。医者の世界でも国籍が日本でないと国公立の大学病院では教授になれないなどの制約もあるらしいが普通の企業と比べると大した差別がないそうである。このように打算的に医学部を志望したが、これが間違った選択でないようにしていきたい。




Tuesday, May 20, 1997 0:47:08 AM
差出人: Ken Hishikawa
タイトル: 08077

なぜ医者になりたいのか?という質問を今まで何度も受けてきた。この質問に答えるのが最も苦手である。なぜなら,自分が医者になろうと決めた理由が安易だからだ。今まで多くの医学生,あるいは医学部を目指している浪人生とそのことについて話してきたが,自分の浅はかな考えに恥ずかしい思いをしてきた。だから,出来ることなら書きたくないのだけど・・・・。
僕は,中学まで井の中の蛙であり,自分は頭がいいと勘違いしていた。そこは田舎の中学であり,その中学では,常に上位の成績をおさめ,部活動でもいい結果を残していた。そういう中で,僕は調子にのらない程大人ではなかった。僕はみんなの前で「医者になる」と公言していた。なぜ医者か?というと理系で頭のいい奴は医学部,文系で頭のいい奴は法学部という考えが自分の中にあった。その程度の考え方しかできなかった自分が情けないけど・・・・。でも,これからの時代,何か手に職をもっていないと駄目だ,とは思っていた。
そして,高校でおもいっきり挫折。それでも,少し勉強すればそれなりの結果がだせたことで(1〜2年)妙な安心感をもってしまった。「冬物語」というマンガを読み,浪人生の生活に憧れ,結局浪人。もちろん,医学部に入るだけの頭もなかった。
3浪もして,やっとここに入学。3浪までしてなぜ医学部か?といわれたら,意地だけだったと思う。中学時代の仲間,先生に対する意地,高校の時に医学部は無理と言った先生に対する意地。何年かけても,絶対医学部に入ってやる,という意地だけはあった。結局はそれだけだった。
こんな僕みたいな奴が医者になってもいいのかな,と思う時はあるけれど,案外僕みたいな奴が良医になるんじゃないの?という自負もある。         



Friday, May 23, 1997 6:12:09 PM
差出人: Junya Tsunagawa
タイトル: 08053

私が医者を目指そうとした理由は、父親が大きく影響しています。私の父親は、広島県の福山市というところで、内科医をしております。別に父が医者だから自分も医者になろうとは思ってなかったのですが、患者さんに感謝されている父の姿をみているうちに、自分も他の人から感謝される様な人間になりたいとおもい医者を目指そうとしたわけです。このような気持ちが自分の中に芽生えてきたのは、高校三年生のころだったと思います。
 医者になろうとおもう以前は、正直な話、自分の将来のことを真剣に考えたことはなく、自分はテニスが好きで、テニスにかかわる事であればなんでもいいとか、漠然とした事しか考えたことしかなかった。自分が医者になろうという決意をより強くした出来事が、高校三年の夏にあった。それは、自分が小さい頃からずっとかわいがってくれていた親戚のおじさんが、癌でなくなったことです。今から二年前のことです。おじさんの体調が思わしくないと言うことは、前から聞いていたのですが、当時受験生であった自分は一度もお見舞にいくこともなく、結局最後までおじさんに会うことができなかった事が非常に残念におもった事がある。     
 このことがあって以来、自分が将来医者になり、いろんな人の手助けができればなあという気持ちがいっそう強くなった。
 現在、この大学にはいり、医学を学んでいるわけだが、医者になりたという強い気持ちを持ち続けて、がんばっていこうと思う。自分が最も尊敬し、また、目標でもある私の父親に、少しでもちかずき、また追い越せるように日々精進していきたい。




Thursday, May 29, 1997 3:36:24 PM
差出人: Takashi Tsukiyama
タイトル: 08052 医師志望理由

 私は、父が医師ということもあり、幼いころから医師という職業が、最も身近な職業であった事は間違いない。そのこともあってか、物心ついた頃には、わたしはなんとなく医師になろうかと思っていた。おそらくそのように思ったのは生活環境によるもので、これといった理由はなかったはずである。しかし、転機が15、6歳のときに訪れた。
 私が15、6歳の頃といえば、暇を見つけては街へ徘徊に出かけ、さまざまな店を見て回っていた。そのとき見つけた店の一つに雑貨を中心に輸入し、販売しているという店があった。その店の商品とは、店長が自ら海外へ出向き好きな商品を輸入し販売するというものであったのだが、私はその自分の目で見て、自分の目を信じて、自分の意思で販売するという、自分のスタイルの持てる仕事に興味を持ち、その道、すなわち貿易関係の仕事に進もうかとも思った。
 また、その頃は自分のこれからの進路について考え直す時期でもあったし、貿易について興味を持っていた頃でもあったので、医師という職業について冷静な目を向ける良い機会でもあった。医師とはどのような職業なのか、私にはどうして医師を志す気持ちがあったのか、そのようなことを考えることができた。大衆媒介などの影響、また医師としての父の言葉、そして、父の医師としての喜びを私が感じ得たこともあって、再び、いや、きちんと理由があっては初めてだが、医師になりたいと思った。
 おそらく、貿易をやりたいと思うことがなかったのならば、私は理由もなく、なにげに周囲の環境によって医師の道へ進んでいたのかもしれない。もしそのようなことならば医師になったとしても、良医になることは難しいだろう。おそらく、貿易へのあこがれは、医師になろうとする理由の再確認という意味で、少しでも良い医者になるステップであったのかもしれない。
 しかし、今も私は貿易もしたいと思っている。




Friday, May 30, 1997 0:06:07 PM
差出人: Daisuke Sawa
タイトル: 08035 医師を目指した理由

 私が医者になりたいと思い始めたわけは、機械や書類ばかり相手の仕事よりも人と直接ふれあうような仕事がしたいと思ったからだ。それが人のためになるのであれがこれほど素晴しい仕事はないと思う。
 私は小さいときから喘息を持っており、少し風邪を引くと夜も眠れないくらい苦しんだ。その度に医者にかかるわけだが、わたしの場合、車で20分ほどいったところにかかりつけの医者がいたので何かあるとかならずそこの病院だった。こじんまりとした病院で、特別素晴しい腕や器材を持っているわけではないのに私は非常に信頼していた。私の喘息は小学校4年ぐらいからはまったくでなくなったが、何かある度にその病院にお世話になり、私が高校に上がるころにはホームドクターのような感じであった。その先生は一言でいうと人当たりが柔らかいそんな感じだった。いつ行っても「今日はどうしました」とにこやかに迎えてくれ、こちらの症状や悩みを真剣に聞いてくれる。当り前の事と言われればそのとおりだが、私にとってその行為は安心感と先生に対する信頼をうみだす元となった。医者になりたいなと思い出してからは、ただ先生にみてもらうだけでなく、先生の一挙一動を観察するようになった。聴診器のあて方の意味を考えたり、カルテをのぞきみして何を書いているのか理解しようとした。カルテの意味は結局理解できなかったが、かなり医学に改めて興味を持てるようになった。そうこうしているうちに高校生になりある程度進路を決めなければならない時期になった。学力はかなり足りなかったが、どうしても医者になりたかったために毎回友達に馬鹿にされながらも医学部と進路調査に書き続けた。
 結局、私が医者になろうと思った大きな理由は人と直接かかわりを持てる仕事であることと、自分がお世話になった先生の仕事ぶりがかっこ良く尊敬できるものであったことであると今になって分析している。私も、子どもが夢を持ってくれるような医者になりたい。




Friday, May 23, 1997 6:11:59 PM
差出人: Takashi Iwakiri
タイトル: 08008

私が、医師を目指し始めたのは、高校3年の12月頃だった。当時、以前から入院していた祖父が、医師の診断の結果、癌であることがわかったのである。母方の家系は、典型的な癌の家系であることは知っていたが、父方の祖父までもが、癌という同じ病気に苦しめられるというのは何ともいえず悲しいことであった。
 高校3年の冬までは、法学部に入学するべく何の迷いもなくそのための勉強をしていたが、そんなことがあってから、私の気持ちは、急に医学に向き始めた。しかし、進路を変更するには、あまりにも遅すぎる時期だったので、高校の先生方は、あまりいい顔はしなかった事を覚えている。そんな中、私の両親は賛成してくれ、浪人することも許してくれた。
 浪人中に同じ医学部を志望する仲間にたくさん会えた事は、私にとってかなりプラスになったような気がする。辛いときにはお互いに支え合い、自分の進むべき道を踏み外しそうになった時には、互いに励まし合う事で乗り切ってこれたように思う。そうした中で、医師に対する思い入れも強くなり、また、自分が目指す医師像とは、どんなものであるかをじっくりと考える事ができたのも私の中では、素晴しい時間であったのではないだろうか。
 今、医学部に入学して、医学を学んでいるわけだが、ほんの2〜3年前に持っていたあの新鮮な気持ちが残っているかは、疑問である。昔の人は、”初心忘るべからず”とはよく言ったものだ。今回のレポート提出の作業は、かなり骨の折れるものだったが、以前自分の持っていた気持ちを思い出させてくれたことに感謝したい。




Friday, May 30, 1997 0:22:59 PM
差出人: Hiroto Ishii
タイトル: 08005 なぜ医師を志したのか

 僕が、医学部に来たという理由は、2つ挙げることができる。1つ目は、よくある話だが、身内に病人が存在し病気というものを身近に感じることが多かったこと。僕自信も、怪我をよくし、頻繁に医者にかかっていた。特にそのなかでも一番影響を受けたのは、母のことだろう。高校に入って間もなくのころ、昔から頑丈で病気とは無縁だと思っていた母が突然入院した。理由は、昔うけた輸血のせいで病気になったという。しかも今の医学では治らないという。「なぜ、母が!」という思いと「なぜ、治らないんだ!」という思い、このことが僕を医学に引き寄せた。
 2つ目は、医学自身に魅力を感じたことである。一生のうちで一つはなにか一生懸命に勉強してみようと思っていたとき医学というのが目に入った。今現在でさえ膨大な量の情報があるのに底が見えない。趣味に終わらない実用的なところ、そういうところに僕は引き付けられた。ここまで読んでもらってわかるだろうけど、僕は医者という職業にあこがれて医学部に来たわけではない。一応、理想の医師像というものは持っているつもりだけれども。大学に入ってちょっと考えが変わってきたところもあるけれど、医学部に来たという理由では上のことには変わりがない。



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